著名な Rubyist にインタビューを行う企画「Rubyist Hotlinks」。第 35 回となる今回は、島田浩二さん。
では、お楽しみください。
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卜部 じゃあ、やりますかね。大きな流れとしては、プロフィール的な話を聞いた後に Ruby との付き合いなんかを聞いて、最後に普段の生活みたいな。
島田 はい。
卜部 なので、取りあえずプロフィールなのですが。差し支えのなさそうなところを言っていただくといいんじゃないですかね。
島田 プロフィール。
卜部 どこの生まれですとか。
島田 神奈川県川崎市多摩区生まれです。
卜部 へー。
角谷 ついに公になってしまった。
須藤 札幌じゃないんですか?道民じゃないんですか?
島田 はい。
角谷 外来種。
須藤 外来種が根付いてしまった。
ALL (笑)
島田 1978 年生まれですね。歳は 37 です。
須藤 えぇ。若いですね。見た目が。
島田 あなたに言われたくない(笑)
須藤 そっか、37 かあ。
卜部 でも、今のところは札幌にずっと住んでいるんですよね?
島田 そうですね。社会人になってからはずっと札幌に。
角谷 どういった経緯で札幌に放流されたんですか?
須藤 鮭みたいな。
ALL (笑)
島田 最初に就職した会社に持ち込まれました(笑)
須藤 面接は本州で?
島田 面接も、採用も全部横浜の会社で。最後、配属の辞令が出されるときに「島田、札幌」って。
ALL (笑)
卜部 それまで何も言われなかった?
島田 なんもないですよ。大体は採用されたところに配属されるんですが。
須藤 一人だけ?
島田 いや、何人かいたんですけど、みんな「帰りたい」って言って、うまいことやってみんな帰っていって。
須藤 取り残されてる。完全に取り残されてる。
島田 で、ここに根を張った感じですね。会社辞めても。
卜部 会社辞めてもここいいっていうのが。気に入っているのはすごいいいことですね。
島田 いいですよ。いかがですか?住んでみると分かることがいろいろと。
卜部 根、生えそうですね。
島田 はい。
卜部 好きな言葉とか、座右の銘とか
島田 座右の銘。
須藤 なんかいっぱいありそう。
島田 (笑)
須藤 大事な言葉、みたいなもの。
卜部 えにしテック社訓とかでもいいですよ。
島田 社訓(笑)社訓は、まだ無いんですけど。
須藤 それ、何かちょっとかっこいいかもしれない。
島田 好きな言葉だと「たのしい Ruby」とかになるんすかねぇ。「たのしい Ruby」はいい言葉だと思います。
卜部 いい言葉だと。
島田 「たのしい Ruby」はいいと思います。
卜部 どんなところが。
島田 こないだの浜松 Ruby 会議でだいたい話したんですよ1。
須藤 じゃあ、ここでそのリンク張っとけばいいですね。
島田 動画もあるんで2。
須藤 すごい。便利だ。
今津 見てない、まだその話。
島田 聞きに来た人はぽかんとしたかもしれないけど、僕がどれだけ「たのしい Ruby」という言葉が好きかという話をしちゃったので。
卜部 たまには「楽しい」、重要ですよ。
島田 重要だと思うんですよ。ちょっと『たのしい Ruby』取ってきますね。
須藤 えにし書庫から。
角谷 島田社長みずから。
ALL (笑)
卜部 えっと、話を戻して。あとは、代表作。著作など。
角谷 代表作。えにしテックじゃ?
島田 (笑)
須藤 えにしテックだ。だって、えにしテック実装で RubyKaigi もジェネレートしたわけですよね。
島田 説明になってないですよ(笑)
ALL (笑)
島田 えー、何になるんですかね。えっと、Ruby 札幌とかえにしテックとか、札幌 Ruby 会議 2012 とか、そういう感じになるんですかねぇ。著作だと、『Ruby 逆引きレシピ』がだいぶ思い入れがある本で。
須藤 OSC でレビューしたやつだ。
ALL (笑)
島田 あの時じゃないと出せなかった本で、すごい思い入れがある本です。あとは、最近の『なるほど UNIX プロセス』とか『Ruby のしくみ』とか。
卜部 あとは?雑誌記事とか。
島田 雑誌記事はないんですよ。
卜部 そうなんだ。
島田 はい。昔、「組込み Zine」っていう組込み開発者向けのところで、C 言語でオブジェクト指向っぽいことをやるって内容の記事を書いたことがありました3が、それぐらいですね。
卜部 それはもう入手不可能?
須藤 Web のやつですよね。CodeZine みたいなやつで。
島田 そうですね、今は「組込み Zine」って無くなっちゃって、多分統合されちゃったんだと思うんですけど。やってました。
卜部 じゃあ、島田さんがこれを読んでほしい、みたいなのはどれになるんですか。今の中で。
島田 『Ruby のしくみ』はもっと読まれて欲しいですね。
卜部 あれはいい本ですよね。
島田 はい、沢山の人にもっと読まれてほしいと思っています。
島田 僕が知ったのは…2005 年か 2006 年ぐらいですね4。
卜部 それはどのようにして知ったのですか?
島田 きっかけは Rails なんですけど。僕はもともと、前職は組み込みの開発者だったんですよ。で、そこではいろんなプロジェクトに携わったんですが、最後に携わっていた仕事というのが、アプリケーションフレームワークを作るというプロジェクトで。ですけど、満足いくようなものが作れなくってすごく悔しい思いをしたんですよね。その後でフリーランスになって。で、技術書でも立ち読みしようと本屋に行ったら、そこで『Rails によるアジャイルな Web アプリケーション開発』が平積みになっていて。それを手にとって読んでみたら、当時は Web とかまだ全然知らなかったんですけど、「何だこのよく出来たアプリケーションフレームワークは!」ってなって。こういうフレームワークが作りたかったんだと思って、読むのが止まらなくなってしまって。で、この Ruby っていう言語は一体なんだと思って、横にあったピッケル本もあわせて読み始めてみたら、なんかもう「これはヤバイ」という風になったのが、きっかけです。
卜部 なるほどねえ。
須藤 前田さんだったんですか。修吾さんが島田さんを引きずり込んだんですね。
島田 僕、たぶん本屋でひと通りずーと 2,3 時間ほど読んでで。
須藤 小学生かよ。
ALL (笑)
島田 で、そのまま買って、その後にあった飲み会でも、ひとしきり「すごいものと出会った」って。
卜部 これは!みたいな感じで
島田 これは凄いですよって。で、Web もやってみようってなりました。
卜部 なるほど。
須藤 衝撃的な出会いだったんですねえ。
卜部 では、前田さんの本を読んで、何が凄いって思いました?
島田 なんか、コード見たら、ちゃんと分かったんですよ。このフレームワークをどう使って欲しいとか、何書けばいいとか。前職でフレームワークの設計をしていたときは、どう作ったら使いやすいかとか、どういうものがいいとか、答えを見つけられなくて。どうしてたらよかったんだろうとか、その上でアプリケーションを作ってくれる皆さんへの申し訳ない思いとかがずっとあったんです。けれど、Rails を見たら、書籍に書いてあることとコードと、全部がとても自然につながっていて。自分で実際にアプリケーションを書いてみても、納得感があって。ディレクトリ構成も綺麗で。こういう風にすればよかったのか、どうやったらこんな風なフレームワークを作れるんだろう、という感じでした。
卜部 へー。
島田 当時、別に Web アプリケーションを書いていたわけではなかったので、Web アプリケーションを作るのに便利そう、っていうよりは、こういうフレームワークの設計はすごいなあ、こういう風に作れば上でアプリを作る人がこういう気持ちで作れるのかというのを感じて。それは、そのあと Ruby に入っていっても同じで。クラスライブラリを使ってみて、こういうインターフェイスだと使い手はこういうふうに感じるのかとか。そうしたことを体験として自然にずっと学んでいけたので、Ruby の、こっちの方に来てしまった感じですね。
卜部 フレームワーク設計ってどうやって学ぶんでしょうね。僕は勘でやっちゃっているんで。
島田 みんなどうやって学ぶんでしょうね。ぼくも仕事でやっていたときは、正解がわからないままやっていて。その後は Rails と出会って、Rails に学んだ感じはありますが。
卜部 出会ったときの Rails のバージョンはいくつなんですか?
島田 いくつなんだろう……あの本の第 1 版が出てたくらいだから、1.0 ぐらい?
卜部 一番なんかコードの見通しも良かったし、できることもそれなりにあって。
島田 そうですね。たぶん、今くらいの Rails になってしまっていたら、当時の僕にはぜんぜん見通せなかったと思うんです。当時の Rails は、MVC を綺麗にやろうとするとこんな感じっていうのがとてもよくわかって。
卜部 まあ、Rails は 2 とか 3 とかいろいろ変遷があるので、今となっては歴史に歴史を重ねたフレームワークなので。
島田 タイミングがちょうどよかったんでしょうねえ。
卜部 逆に、Ruby でこんなところが良くないというか、嫌いなところとか。
島田 一回好きになるとあんま嫌いにならないので……嫌い?嫌い……角谷さんは、嫌いなところ聞かれたらどんな風に答えます?
角谷 苦手なのは、僕は super が苦手でした。Java 上がりなので、super をたまに使い間違える。
ALL あぁ。
須藤 違うんですか?
角谷 Ruby の super は引数を渡さないと全部渡るじゃないですか。便利だけど、Java はそうじゃない。
ALL へぇ。
角谷 Ruby の方がいいんだけど、慣れの問題で使い間違える、というのがありました。
ALL へぇ。
島田 まあ、嫌いなところは特に無いですね。
卜部 島田さん、Ruby の前は何を書いていたんですか?
島田 C と、それから C++をちょっと、という感じです。
卜部 C++とは private の使い方がちょっと違ったりはありますけど、そういうところではまったりはしなかったですか?
島田 しなかったですね。というか、僕、オブジェクト指向プログラミングっていうものがちゃんと分かるようになったのって、Ruby をやるようになってからなんですよね。
卜部 お、いい話。
島田 仕事ではずっと C をやっていて、前職の最後の仕事、先ほど話したアプリケーションフレームワークの開発の仕事が C++だったんですが、はじめての C++ではじめてのフレームワーク開発ということで、使いこなすという感じじゃあ全然なくて。で、会社を辞めて、Java をちょっと触り始めたくらいで Ruby に出会って。オブジェクト指向言語をできるようになりたかったので Java をやり始めていたんですけど、クラスを書いて動くプログラムを作っても、オブジェクトっていう感じが全然よくわからなくって。でも、Ruby と出会って irb を触るようになると「なるほど、確かに自分が話しかけてる相手はオブジェクトだ。プログラムの中で動いてるのはクラスじゃない…!!」みたいなのがわかったんですよね。なので、Ruby から色々教わって、それが他の言語との比較というかベースになっているという感じなんですよね。だから、他の言語を触った時に、Ruby と違ってて混同するというのはあるけれど、Ruby を触ってて混同するというのは、今のところはあまりないです。
須藤 速度とかって別に気にならないんですか?C とかやってると数桁違うじゃないですか。組み込みとかって結構カチカチに書くのかなって気がするんですけど。
島田 あー、別に Ruby で組み込みのコードを書いてるわけではないですし、あまり気にしていないですかねえ。C 言語で組み込みをやっていた頃は、プロジェクトの終わりの頃に、「メモリが足りないからみんなで変数を削減してください」といったメールが飛んできたりして。
卜部 へぇそんなのあるなんだ。
島田 当時は RTOS の時代でしたし。やってましたねえ。
須藤 海辺でゴミ拾いをしましょう的なノリで。ボランティア的な。
設樂 探せば落ちているでしょ、みたいな。
ALL (笑)
島田 そんな感じだったんで、ちょっと全然世界が違いすぎて。だから、ベースは C で、そこから先いろいろ出会った中で一番合ったのが Ruby っていう感じなんですかね。C++も Java も難しかったですねえ。
卜部 じゃあ、Ruby を使い始めて、実際に Ruby で書いてよかった、みたいなことはありますかね。成功事例とか。
島田 やっぱり、オブジェクト指向プログラミングのことがちょっとわかったとか、その先にあるもっと広いプログラミングのことについて少しずつ教えてもらえたとか。それまでも仕事でコードは書いてたんですけど、でもプログラミングについて全然わかってなかったんですよ。自分がしている作業について、半分も理解できてなかった。でも、Ruby と対話するようになってから、コードで問題解決をする感じとか、良い書き方とか問題の解き方についてとか、そういったものをちょっとずつ分かれるようになっていったというか。たとえば、ブロックとか map あたりの、書いてると「あっ、あぁ〜〜〜」ってなる感じというか。
須藤 何も説明になってない!
ALL (笑)
島田 なんかあるじゃないですか。本で読んだりして、何となくわかったかもくらいの感じだったものが、コードを書いてたら突然はっきりとわかったような感じがして「あっ、これってもしかして」みたいになって。さらに動かしたりしてみて、「あ、こういうことか。すごいすごいすごい」みたいな。成功事例というのかわからないですけれど、コードを書いててそういう体験ができたのは、僕は Ruby で書いてるときが一番多くって。そういう体験ができたというのが一番よかったなあと。
卜部 じゃ、島田さんの中で Ruby のキラーアプリというと irb ですかね?
島田 あぁー、そうかもしれないですね。最初の出会い自体は Rails なんですけど、その後僕が一番 Ruby の良さを感じていたのは、irb や rails console を通じてですね。
卜部 rails console 便利ですよね。
須藤 卜部さん、Rails 書くんだ。
卜部 あぁ、他人が作ってなんかうまくいかないよって言われた時に、土地勘分からないんだけど、とりあえず rails console をやってみると分かるってことはあるじゃないですか。
須藤 オブジェクトを触ればわかる!
島田 オブジェクトに聞いてみましょうってことですよね。
卜部 あと、あれですよ。なんかよくわからないんだけど、Mongoid のアプリがあって、なんか Mongo が怪しんだけどってときに、Mongo のシェルって JavaScript じゃないですか。ちょっと辛いので、rails console から触るってことはありますね。
島田 とてもわかります(笑)僕、最初データベースに苦手意識があって。で、SQL を直接書ければいいんだけど、という場面でもパッと書けないからって rails console 開いてましたね。
島田 そっか。じゃあ、これからは irb がキラーアプリですって言うことにします。
ALL (笑)
角谷 map はね。最初、なんか分かった気になったときは、感動するよね。
島田 凄いですよね。あれは。
須藤 なんでですかぁ?
角谷 いや、配列があって、map って打って、ブロックを書いて。あれは処理の塊だから、こいつが処理されたら、あっ新しいのが出てきた!って感じで。この処理結果もらっていいんっすか?って感じで。
ALL (笑)
角谷 さらにドットで、まだ行ける!何コレ!みたいな。
ALL (笑)
角谷 本だとこの感じを説明するのはちょっと難しい。
卜部 確かに。本で説明するとちょっと難しい。
角谷 なんかよく分かっていないけど、やってみたら、「あっ、全部ある」みたいな。
島田 each もそうで。デザインパターンの本を読んだ時とか、イテレータについてなんとなく言っていることは分かるんだけど、良さみたいなのをしっかりとは感じられなくて。でも、実際に書いてみたら、あ、確かに i とか要らなかったんだとか。
角谷 アイなんかいらない!
ALL (笑)
島田 分かる、体験するっていうことに対して、irb と Ruby のインターフェイスの組み合わせが、僕にはすごいちょうど良かったって思っています。
卜部 じゃ、Ruby の習得と言ってもそんな感じで、前田修吾さんの本とか irb とかでって訳なんですかね。
島田 会社員時代は、社内で同期と勉強会を開けたりできたんですけど、独立した後に Ruby と出会ったので「これいいよね」っていう場所も相手もいなくて。その、札幌出身でもなかったので、本当に社外には全然知り合いがいない状態で。
須藤 太字にしたい(笑)
島田 ボッチだったので(笑)でも、どうしても「Ruby いいよね」って言いたいなって気持ちが高まって。で、ネットで調べたら、いろんなところで Ruby の勉強会というものが行なわれているということと、札幌ではまだ行われていないらしいということがわかって。そして RubyistSNS ってところに入って……
須藤 あ、そうなんですか。
島田 そうそう。RubyistSNS っていう謎の(笑)
須藤 かずひこさんのやつですよね。
角谷 PHP で動いていたやつ。
須藤 OpenPNE!
島田 (笑)で、RubyistSNS 上で、Ruby 関西の小波先生に勉強 会の開催についてちょっと伺って。その後、高橋さんに Ruby の会にメールを書いて「勉強会とかやってもいいんですかね?」って書いたら、「やりゃいいんじゃない」って。
ALL (笑)
角谷 「やったらいいんじゃないでしょうか」
島田 「やってから言え」って感じで。
角谷 「いいか悪いかじゃない、やるんだ」
島田 それで、実際に 1 回目をやったのが 2007 年の春ぐらいで。そしたら、その 1 回目に tmaeda さんとか sumim さん5とかが来て。
ALL (笑)
須藤 やばい。
島田 そう、やばくて。で、第 1 回目とかはネタも特に無かったので、僕が Ruby がいかに好きかって話をして…
須藤 今とあまり変わらない!
ALL (笑)
角谷 もともと「Ruby いいよね」って言いたいから始めようと思ったわけだから、初回のコンテンツは「俺の話を聞け」。間違ってない。
島田 で、前職の後輩を誘ったりして、ERB のソースコードを一緒に読んでみるとかして。
角谷 筋がいいですね。
島田 で、まだ詳しくないから「どういう意味なんでしょうね」とかって悩むと、tmaeda さんとかが「ここはね〜」とか教えてくれたり、sumim さんとかが「ここは Ruby のメーリングリストの xxx で議論があって、こういう流れでこういう仕様に決まってね」みたいな話をしてくれたりして。
ALL (笑)
島田 それがすごくって。僕はそれまで社内の閉じられた文化圏に居たから、オープンソースのコードを誰かが書いているというのをリアルに想像できてなかったんですよね、実は。でも、外に出て初めて社外で話したら「ここはここでこう決まってね」って言われて。
須藤 ディスられるわけですね。
角谷 メーリングリストの何番をみてくださいとか。
島田 で、「あ、人が作っているんだ」って思って。ただ勉強会する、したいじゃなくって、作っている人たちに興味をもつようになって。それで、それがこの後 Ruby 会議 2007 の当日スタッフに応募する伏線にもなるんですよ。
須藤 これ、同じ年ですか?
島田 同じ年なんですよ。
須藤 おぉ、すごい。1 年経ってないんですね。
島田 2007 年に 3 回 Ruby 勉強会をやってから、あれ?2 回だ。で、1 回目に来ていた tmaeda さんに「詳しそうだから次ぜひ話してください」って言って、そうしたら 2 回めに darashi と noplans さん6が来て「じゃあ次話してください」って言って、そして Ruby 会議 2007 に当日スタッフとして行ったら、darashi も当日スタッフにいて。
須藤 お前も来てんだ、と。
ALL (笑)
島田 という感じで、どんどん深みにはまっていくんですが……もともとは Ruby の習得の話だったんですが。
ALL (笑)
島田 それで Ruby 会議 2007 から帰ってくると、今度は Ruby 会議っぽいものを札幌でやりたいって思うようになって、Ruby 札幌の運営チームというものを作ったんですよ。
角谷 これまでとはやり方を変えようと。
島田 そうですね。それまでは僕が一人で勢いで運営していたんですけど、それじゃ到底たどり着けないだろうと、チームにしたいと思って。それはたぶん Ruby 会議 2007 で角谷さんの運営する様をみて、チームがあると良いと思ったんですよ。
ALL (笑)
角谷 で、バイトリーダーみたいな感じで、その時に 2 日分のシフト表みたいなものを作ったんですよ。で、それが辛くてすごく。
須藤 バイトリーダーが。
角谷 バイトリーダーが。全部自分が背負わないといけないみたいな感じになって。もうちょっとチームじゃないけど、みんなでやるって形がいいかなと思って、それを試し始めたのが 2 回めで。
島田 そこに僕がいたという感じなんですね。で、Ruby 札幌に繋がると。
角谷 公募みたいな感じって 1 回目からだっけなあ。2 回目は公募ってやったら、たくさん応募が来たっていうのは覚えていて。で、東京以外は 2 人、札幌からっていうのが居て。
須藤 なぜか札幌から。しかも 2 人。
角谷 で、放っといてもどのみち参加者として来るんだろうから、ならスタッフしてもらうといいかなって。でも、当時はまだ基本ローカルで運営していたから、スタッフ宿とかもなくて。どのみち来るんだから宿とかもなんとかするんだろうと思ってたら、宿がない人が居て。
ALL (笑)
島田 マンガ喫茶(笑)
設樂 学生だったから(笑)
角谷 お金ないからマンガ喫茶で寝ますって。「えっ」て思ったけど。
設樂 秋葉原のまんが喫茶に泊まりました(笑)
島田 で、話を戻すと、運営チームを発足した後、Ruby 札幌運営の IRC チャンネルを作ってですね。tmaeda さんと darashi と noplans と僕がいるという、Ruby 札幌運営チームの IRC チャンネルができたんです。
前田 覚えてない。
ALL (笑)
島田 で、そのうち mrkn7もそこに入ってくるんですけど。そこでのみんなの会話が僕には全然わからなくて。すごく刺激的な話をしているっぽいんだけど、僕にはわからないから、これメモって後で調べてとかってやって。実際に Ruby 使っている話とか。当時、darashi は Ruby で soupcurry.info作ったり研究で使ったりとかしてて。noplans さんもそうだし、tmaeda さんは仕事で Ruby 使っていて。mrkn はまああんな感じで。
ALL (笑)
島田 みんなそれなりに普通の技術コミュニティの会話みたいなものをしているんだけど、僕はそういうところがまだ全然なかったので、チャットに参加しながら「そういうのがあるんだ」とか、そういうふうにして自分の知識を広げていって。本とかよりも、そこで得られたことのほうが多いなと思っています。
卜部 へぇ。凄いいい話。
島田 今でも、えにしテックの中でみんなが書いているコードとかを読みながら、「へー」とか「こう書くのか」とか思うことばかりで。そのスタンスはずっと変わってないですねえ。人から教えてもらっているなあと思います。横にすごく詳しい人が居て、その人が自分が詳しい話を誰かに気兼ねすることなく思いっきりしているという環境というのが、僕にとってはすごく良い場だと思うんですよね。Ruby と仲良くなれたのもそのおかげが大きいと思ってます。
卜部 その中で、自分も使って仕事をしてみようと思い始めたのは、だいぶ後の話ですか?
島田 後ですね。もともと組み込みの仕事自体は楽しかったので。なので、独立した後も仕事は組み込みが多かったのですが、社会の風的にフリーランスみたい働き方が押された年だったんですよ。2006 年から 2007 年くらいって。
角谷 札幌で?
島田 いや、全国的にだったと思います。
角谷 へー
島田 結構フリーランスみたいな働き方がもてはやされた年だったと思うんですよ。でも、それと同時に、オフショアとかの影響で、企業側がコアな技術をブラックボックス化して内製化する、という流れが強くなった時期でもあって。僕が取れるお仕事も、コアの面白い部分から上物とのインタフェースみたいな部分にどんどんと変わってきたっていうのと、オブジェクト指向プログラミングで仕事がしたいという思いもあって。そのとき Ruby の仕事は全然ないので、Java の仕事をしたりしていて。そうそう、当時は Ruby の仕事なんて全然なかったんですよ。tmaeda さんは札幌で Ruby の仕事をしていましたけど。だから、実際に Ruby で仕事というのはだいぶ後、コミュニティで活動しだしてある程度たってからになります。といっても、tmaeda さんのところに行って仕事させてもらうんですけど(笑)フリーランスとして。
角谷 それは Ruby でやれたんですか?
島田 Ruby やれました。
卜部 いいですね。
須藤 「おいでよ」って言って Java やらせたら、切ない話ですよね。おれ Ruby やってるけど、お前 Java なとか。
ALL (笑)
卜部 あ、でも Ruby のしごと増やしていくのって、初期の頃だと苦労とかあったみたいですよね。
角谷 永和でやっていた時も、最初はそのときの事業部長が「この間、NaCl の社長と会ったよ」って話をしていて、「じゃ、そこ行けば Ruby の仕事あるんじゃね?」って「仕事ください」ってお願いしにいきました。「ここ来たら Ruby の仕事あるはずです。ここになかったらどこにあるんですか」って感じで。で、最初、いくつか紹介してもらったり一緒にやらせてもらったりではじめて。で、すぐ人が足りなくなるというか、仕事で Ruby が書けるレベルのような人が居なかったので、諸橋さん8という人が中途で入社してきて。諸橋さんが入ってきた時にはちょうど Ruby の仕事がなくて、Java ばっかり。
ALL (笑)
角谷 すぐ Ruby の仕事できると思った?みたいな。ちょっと Ruby の仕事取ってくるから、それまで Java 書いて待っててって。
ALL (笑)
島田 そうですね。2008 年の冬に JPUG、PostgreSQL の北海道支部と Ruby 札幌との合同イベントというのをやって、そこで角谷さんと諸橋さんに来ていただいた時には、札幌で Ruby の仕事をしているのって僕は tmaeda さんしか知らなくて。後は当時、コンサドーレ札幌の公式ブログが Rails で作られているっていう話があったんですが……
須藤 niku さん…!! 9
ALL (笑)
島田 niku さんはまだ当時は札幌にいなかったと思います(笑)で、そういう話は聞くものの、コミュニティに出てくる人とかは特にいなくって。tmaeda さんは誰か知り合いいました?
前田 いや、居なかったと思う。
島田 なので、ゴトケンさんの「仕事で使う Ruby」とかを見て、「あ、こうやって増やしていくんだ」ってみたいな。そんな時代でしたね。結局、えにしテックになるまでは、Ruby の仕事って tmaeda さんのところでやらせてもらったやつだけだったんじゃないかなあ。
前田 え、そうなんですか?
島田 たぶん、なかったと思います。
卜部 じゃ結構コミュニティとしてというか、勉強としてはずっと触っていたと。
島田 そうですね。組み込みのお仕事として中間管理職のようなインターフェイス層の仕事が増えていった時に、Ruby だとこう書けて気持ちいいから、ここはこういうインターフェイスにしたいとか。そういうところで、Ruby だとどうやってんだろうって見たりとか。あと、お客さん先に行ってプロジェクトで「こういった道具がいいのにな」っていうのを Ruby で書いていたりしましたね。
卜部 自分のツールとして便利に使うっていうのはいいですよね。
卜部 次の質問は、そんな風にして勉強とかをしている中で、これは良かったとか、このコードは良かったとかありますか?
卜部 美しかったコードとか。
角谷 感銘を受けたコードとか。
須藤 ERB は分かったんですか?
島田 それが、第 1 回で終わっちゃったんですよ。
卜部 でも、ERB は咳プロダクツの中ではそんなにコード量も多くなくって、読みやすいっちゃ読みやすいですよ。
島田 どれっていうと難しいですねえ……
角谷 読者の人に「これは読んだほうがいい」と言ったものとか。
卜部 咳プロダクツとか青木峰郎プロダクツとか
須藤 被ってないんじゃないですか?もしかして、青木さんって島田さんと。
島田 そうですね。Ruby 会議 2007 の打ち上げか何かのときに、たまたま青木さんの隣になって緊張しながら挨拶したくらいなんですよね。
角谷 青木さんがもりもりやっていたちょっと後ってぐらいですもんね。
島田 はい。「これは読んだほうがいい」っていうコードはやっぱりわからないですね。なんか、「これは読んどいたらいい」って言ってなんの条件もつけずにぽんって出せるってものは、あまりイメージが付かないですね。
卜部 なるほど。
島田 それよりも、そこに書かれたコードについて話せる人が横にいるコード、っていう環境のほうが大事かなって思ってます。そういう意味だと、Ruby 札幌のほかの人が書いたコードとかが僕にとってはすごいよかった。
須藤 jpmobile。
設樂 (笑)
島田 えっと、そういうのだと当時 darashi が書いてた mashfeed というのがありまして…
設樂 あー。
島田 plaggerの Ruby 版みたいな。
設樂 やつを作りたかったんですけど…
島田 「こういうのがあったらいいな」っていうアイデアレベルのコードとかが、Ruby 札幌の IRC チャンネルの中とかで流れていくのを見て、「あ、こうやるんだ」とか「こうやって活かすといいのか」とかわかっていったのが良かったので、横にそのコードについて詳しい人とか話せる人がいるコード、っていうのが大事かなあって思います。
卜部 じゃ、現在で Ruby との付き合いについて一言でまとめると。
島田 一言…Ruby との付き合いを一言…
卜部 Ruby の会の理事。やっていただいてありがとうございます。
島田 あ、はい。なんて言うといいんだろう。角谷さんはなんて答えたんですか?
角谷 わからない。そんなこと聞かれた覚えはない。
ALL (笑)
角谷 僕のはインターネットにあるから。僕のことはいいんですよ。
ALL (笑)
角谷 ソース読め。ググれ(笑)
卜部 角谷さんは Ruby が好きで Ruby Ruby 言ってる人ですから。
ALL (笑)
島田 Ruby との付き合い?それとも Ruby コミュニティとの付き合い?
卜部 その 2 つはそうはっきりと分かれているものではないって感じですよね。今は。
島田 そういう意味だと、最近『Ruby のしくみ』とか『なるほど UNIX プロセス』のような書籍を出していっている背景としては、僕自身が Ruby を通して、その先のことに触れたり理解することがたくさんできたと感じているので、そうしたきっかけとなるような種をたくさん Ruby コミュニティに置いておけるといいのかなと思っていて。入門書じゃなく、ちょっと Ruby を触った人がさらにその先の何かに触れられる入り口、昔の自分に読ませたい、みたいなことを今は割りとやっていますねえ。
卜部 いいですね。昔の自分に読ませたいとか。
島田 割とそういう動機。過去の自分に「読んどけ」って渡したいようなものが多いですね。僕がやるのは。
卜部 今、そういう系のネタは仕込んでいるんですか?
島田 『なるほど TCP Sockets』を次やりたいんですよ。角谷さん。
角谷 はい。やりましょう。
島田 原稿は上がっているんです。
角谷 ちゃんとみます。ちゃんと見ますよ。
島田 なるほどシリーズの 2 冊目は、もうちょっとで行けそうな気がするんで。って感じです。
島田 あと、Ruby コミュニティとの付き合いについて、もう 1 つ。地域と Ruby、国内の東京以外の Ruby コミュニティに興味があって。大事にしたいなと思っています。僕自身が地域にいるってこともあるんですけど。地域ごとにぜんぜん違うと思うんですよ。
卜部 全然違いますよね。
島田 東京の人からすると、見えないものがなんかあるような気がしていて。そういうのをたくさん見聞きして何かできるといいなと思っています。
須藤 島田さんが知りたいんですか?それとも他の人に伝えたいんですか?
島田 僕が知りたいですね。結構地域でこういうことをやっていくのは結構いろんな大変さがあると思うので、僕がどうやっていったら分からないとかわからないとかがたくさんあるので。そういうことを他の人がどうやっているのかとか。こっちの話もするともしかしたら…って思うし。話すのが大事かなと思います。
卜部 最近は、結構色んな所に行きました?
島田 あんまり西の方には行けてないんですよね。松江には行くんですが、松江はちょっと独特なので。
卜部 松江は東京対地方という感じとはちょっと離れたところにいる感じがしますよね。
島田 そこを除くと、あんまり西の方には行けてなくて。名古屋とか浜松とか行ってとてもよかったですね。仙台とかも。そういうところに行って、そこにいる人達とかと話ができるといいなと。西の方とかだと、後は…
須藤 福岡とかは行ったんですか?
島田 行けてないんですよ。
卜部 あと、沖縄とかは。
島田 あー、行けてないです。
須藤 栃木とかは。
島田 栃木もなんか独特な感じで(笑)
ALL (笑)
卜部 それを言い出すと、それぞれ育ちが独特なんで、似ているのはあんまり無いかもしれないですね。
島田 そうかもしれないですね。そういうのを確認して回る作業がしたいのかもしれないですね。
卜部 そろそろ Ruby の話からちょっと外れていこうと思い、流れとしてはなっているんですけど、Ruby のことで何かこれは言っておきたいってあったら。
島田 うんっと。さっきの Ruby 札幌の話の続きをすると、札幌で Ruby 会議っぽいことをしたいっていうところから、Ruby 札幌の運営チームで Ruby 会議のスタッフをやりに行ったり、札幌 Ruby 会議を開催するようになって。で、2010 年の札幌 Ruby 会議 03 で、まつもとさんを呼んで結構ちゃんとできて。さらに、札幌 Ruby 会議 2012 っていうもっと大きい、ちゃんと Ruby 会議っぽいことも実現できて。初期衝動で Ruby 札幌を始めて以降、Ruby 札幌でやってみたかったことは、1 回やりきってしまった感があって。最近は、ゆるくゆるくやってますっていう感じになっています。
角谷 札幌 Ruby 会議 2012 はね。高橋さんが「Ruby 会議やめます」って言った翌年の、Ruby 会議が無い年に行われた会議だったから。実質あれは Ruby 会議だったからね。事実上の Ruby 会議。
ALL (笑)
島田 非公式。
須藤 TV 父さんみたいな10。
ALL (笑)
島田 TV 父さんみたいって書いてもあまり伝わらなそう(笑)
ALL (笑)
須藤 フナッシーとかにしないと伝わらないですよね。
卜部 じゃあ、ちょっと話がずれていくんだけど、Ruby 以外のプログラミング言語の話っていうと、ずっと C と最後のほうは C++と、さっきとおんなじですか。
島田 はい。
卜部 それはもう今は全然やらない感じですか。
島田 今はそうです、やらないです。
設樂 研修。
島田 あー。新人研修の仕事を年に 1 回やっているんです、そういえば。そこでは C 言語とか Java を。
卜部 それは、研修してる先の会社が C とかを使ってるからっていう。
島田 そうです。業務系の開発と組み込み系開発の両方をやられている会社さんなので、そうした言語を教えてほしいっていうリクエストをもらっていて。僕が Ruby から教わったことをできるだけ踏まえつつ、C とか Java でやっているっていう感じです。
角谷 Ruby のことを教える悪いお兄さんみたいなことは。
島田 混乱させるからしないです。文系でまったく触ったことない人とかも居て、C と Java を同じ期間で教えるってだけでもだいぶチャレンジだと思っているので、それ以上混乱させるようなことはしないようにしています。
卜部 島田さん自身はどうだったんですか、最初に初めてプログラミングをやり始めたときっていうのは。C だけでやり始めたんですか?
島田 僕自身は、いちおう電気通信大学という所を出ていまして、そこで C をやって。Java も授業でやってるはずなんです。なんですけど……なんというか、全然ダメな学生だったので。何となく授業でやったことはあるけど、くらいの状態で会社に入って、そこから C をきちんとやり直して。
卜部 会社に入ってから研修みたいなのってあったんですか。
島田 ありましたね。そこでの経験っていうのが、割と今の僕の新人研修をするときのスタイルに影響しているんですけど。僕が受けた研修は最初が座学が中心で。言語の研修も講義みたいな感じだったんですが、それが僕自身は全然わからなくって。で、まず「あ、僕この業界でやっていけないかもしれない」って。その座学の次は、プロジェクト演習みたいになって。それがチームに分けられて RTOS 上で電話を作れというような演習で、「え?」みたいな感じで。
須藤 知識は持ってるはずだ。
角谷 教えた!
設樂 今教えたばっかりだから。
ALL (笑)
島田 今思うと、とても考えられた演習なんですけどね。確か、できる人たちとそうでない人たちって分けだったと思うんですけど、RTOS 自体を作るチームと、去年の新人が作った RTOS 上で動く電話プログラムを作るチームに分かれて開発演習をして、僕は後者のチームだったんですけど、もう全然わからなくて。だから、「ドキュメント書きでも何でもします」っていう感じで。
卜部 厳しかったんですね。
島田 で、研修期間を通じて、わかっていないってことをすごくわかって。それで、危機感しかない状態で札幌にきて。ちょうど良いことに知り合いもいないので、休みの日もやることないし、ずーっと勉強するようになって。
須藤 札幌デビュー。
ALL (笑)
島田 ずっとやってました。で、札幌に来て一生懸命やり始めた中で、プログラミングのことをわかるには、やっぱりコードを書くっていう、実際に書いたり動かしたりするということが、ちゃんと自分の中に入ってくる活動だということがわかって。なので、僕がやる研修では、全員がコードを実際に書くということを大事に、それを中心にした研修にしています。 す。
須藤 研修は横浜でやって、そこであまりにもできなくて札幌に飛ばされた、みたいな感じなんですか。
ALL (笑)
卜部 結構今のぐさっときましたね。
須藤 今の流れだとそういうことかなって。
島田 (笑)いやでも、それは多少あるんですよ。
須藤 あるんですか?!
島田 あるんです。その配属前の面談のときにですね、僕はもう危機感しかなくって。「一応こういう大学は出ていますが、今は全然できないです。けど、きっと厳しい環境に身をおいたら、ちゃんとやれるようになると思うので……」って言って。
ALL (笑)
須藤 なら札幌だろうと。
島田 その会社は携帯電話の開発をやっていたんですけど、当時、札幌が一番大きい携帯電話会社向けのソフトウェアというか、製品をやっていたので。
卜部 実際厳しかったんですか。
島田 実際厳しかったですけど。会社っていうのはそういうもんだって思ってましたけど、帰りは 23 時前がざらとか。
卜部 やばいですね。
島田 でも、まあ、あまりその辺のこともよく知らなかったので。
須藤 こういうもんなんだなって。
島田 はい。で、その中で、オブジェクト指向プログラミングでちゃんとできるようになって、アジャイルなやり方で開発できるようになれば、助かるかもしれないって思うようになって。
ALL (笑)
島田 さいきん新訳も出ましたけど、『エクストリームプログラミング』なんかも同期と読書会みたいなことをしたりして。上司にも「勇気が大事って書いてあります」って、言いにいったりして。良い本なんで読んでくださいって言ったら、「いいから仕事しろ」って。
ALL (笑)
島田 わざわざメールに XP のサマリーを書いて上司に送ったりしてましたねえ。
須藤 読まずに分かる。
角谷 エグゼクティブサマリー。
島田 やってましたね。
須藤 厳しいですね。
島田 こんな話で大丈夫なんですか。
卜部 もう大体半分くらい生い立ちの話に入ってる気がしました。生い立ちの話をしましたね。生い立ち、もともとは神奈川県ご出身で。でも、プログラミングとかをやり始めたのは仕事をしてからってことですね、大学で少し触ってたけど。
島田 はい。大学ではちょっと触ったけど全然ピンときてなくって。でも、この業界が一番面白そうな感じがあって、無意識に選んでて。面白さがわかるとか、ちゃんとやるようになるのとかは、全部会社に入った後です。
卜部 でも、パソコン自体は使うっていう話でいうと、昔からやってたって感じですか。
島田 それも大学からで。だから、僕コンピュータを扱うとかも、他の人より多分全然遅くって。大学に入って授業で使うようになって、というところから入って。で、家でも使ってみたいと思って、バイトして買うみたいな。Gateway。
須藤 Gateway!
島田 同級生の詳しいヤツに何買ったらいいのって聞いて、「今だったら Gateway がいいと思う」って言われて、「ああ、そう」って言って。
須藤 ウシのやつ!
卜部 当時、絶対電通大の生協は Gateway 推しで。
ALL (笑)
島田 で、大学に入ってから触るようになって。でも、本当にただのユーザーでした。
卜部 インターネットやったりとかは。
島田 インターネットは…電通大って当時、全部 mule でやってたじゃないですか。その独特な環境と、家にあるマシンとの違いが何なのかとかよく分かんなくて。メールを書くとか。
須藤 私、むしろ今でも mule ですよ。全然ふつうだと思ってた…
ALL (笑)
島田 大学に入って、計算機室の使い方みたいな感じで、mule の使い方とか教わって。そっちでまず教わったので、大学の計算機室とかに行ってやっててとかっていって。で、家にパソコン買ったら、多少インターネットはするけど…ぐらいでした。あんまり「使ってる」って言えるような感じなかったですねえ。ユーザー未満みたいな感じだったと思います。
卜部 それはじゃあ、北海道に来てから状況が変わったって感じですか。
島田 そうです。生きていけないと思ってから、やり始めるようになって。で、新人研修で危機感を覚えたときに「勉強しなきゃいけない」と思って、新横浜の本屋さんで買ったのが『それがぼくには楽しかったから』っていうリーナスの本で。たぶん選ぶ本が間違ってる。
ALL (笑)
島田 楽しそうって思って。で、札幌来てから、家で Linux を一生懸命インストールするみたいな。で、してました。
須藤 楽しいの好きなんですね、もともと。
ALL (笑)
島田 いや、あれ。あの本、すごいいい本だと思うんです。モチベーションの源泉みたいなのがあって。当時、会社は Solaris だったんですよね。Solaris でコードを RCS で管理するみたいな感じで。この黒い画面の世界に慣れないとみたいなこともあって、で、家のマシンに Linux 環境を入れようってなって。インストールし始めて、買い物に行って、帰ってきたら「あれ壊れちゃった…??」みたいな。
ALL (笑)
島田 やってました。土日の仕事、土日の余暇。
須藤 インストール大会は土日に。
島田 やってましたよ。
卜部 でも、さっきの話だと、その後しばらくしたら、Ruby 札幌の IRC チャンネル上げてたっていう話だから、それ何かだいぶ隔たりが。
島田 それは会社辞めた後なので。2001 年に会社入って、2006 年まではその会社の中だけで、他に知り合いが全然いないっていう感じで過ごしていたので。
卜部 で、週末頑張ってインストール大会とかもやっていて。
島田 そうです。
角谷 リーナスの本読んで。
島田 そうそう、Linux の勉強をして。
角谷 寒い国の冬はずっとプログラミングするらしい。
島田 暖を取る必要がありますからね。
須藤 いくら CPU 回すかが重要。
島田 で、ちょうど仕事柄も、RTOS から組み込み Linux に変わるみたいな。
卜部 時期的にね。
島田 時期的に。社内でも組み込み Linux のプロジェクトとかが起きてきて、Linux をちゃんとやろうみたいなのは何か。まあ今思うと全然なんですけど。でも、辞めた後なんですよねえ、いろいろと開けた感じがあるのって。
卜部 でも意外に自学自習じゃないですか。
島田 うん。
卜部 自学ですね。
島田 死ぬと思ってましたから。
角谷 まじ?
ALL (笑)
島田 仕事で、食べていけなくなると思っていたから。会社員の時代は、ずっとちゃんとできないと食ってけなくなるみたいな感覚しかなかったです、割と。
卜部 追い詰められた感じの雰囲気だったんですか。
島田 うん。できない感が。同期がすごいできて、オブジェクト指向とか詳しかったりして。すごいなあって思っていましたね。
卜部 その後、フリーランスになったり、会社を起こしたりするわけですけど。
島田 はい。
卜部 どうですか、実際のところ。今思ってみるとそれは考え過ぎだったとか、本当に激しかったのか。
島田 でも、あれやってなかったら、どうなってたかはよく分かんないから。
須藤 やって良かった。
島田 はい。けれど、問題は多分外が全然見えていなかった。本とか何となく、すごい遠くには外はあるんですけど。その、すぐ外みたいなところは、あまり見えてなかったなあというのがありますね。
卜部 手が届くところみたいな。
島田 それはもっと早い方が良かったような気はするんですけど。それがなかったので、寄り道はしたような気はしています。
卜部 今、その当時の島田さんみたいに、本とかはあるけど周りに人がいなくてみたいな人って結構いると思いますけど、そういう人はどうすればいいんですかね。
島田 どうすればいいんだろう。
卜部 取りあえず高橋さんにメールすればみたいな。
島田 どうすればいいと思う?
今津 Ruby 札幌のラウンジに来る!
島田 そこまでたどり着けないような人ってことですよね。
須藤 そこも知らない、情報が圧倒的に足りないような。
卜部 札幌は幸いにして Ruby 札幌があるから、来ればいいよって言えるけど、札幌だけではないじゃないですか。
島田 でも、今って多分状況はすごい変わっていて。僕のときは Twitter とかなかったし、外でなんか勉強会とかイベントをやるっていうのも、どこかのメーリングリストに入ってないと。
卜部 知りもできない。
島田 知りもできなかったけど、今は割と横からふいって情報が入ってくるっていう口ができてるから。昔に比べたら、だいぶ出会う経路は増えたんだと思うんですけど。その代わり、何を選ぶかが難しくなっているような気はするので…あまりでも、選ばずに、なんかに取りあえず行ってみるのがいいんじゃ、と思いますね。札幌で僕、Ruby 札幌始める前に、こうした感じのコミュニティがないかなと思って一応探して。で、一つ見つけたんで行ってみたら、その、なんか同窓会みたいなやつで。1 人だけこう何か。
角谷 ぽつんと。
島田 (笑)
須藤 初めましてっていう。
島田 何かすいません、みたいな。間違えましたって。
ALL (笑)
島田 とかあったんですよね。何で来たんだろうこの人みたいな。
須藤 それは面白いっすね。「あいつ知ってる?」「いや」みたいな。
島田 まあ、行ってみると分かることがあると。
卜部 それに限らず、合う、合わないはやっぱりあることはありますよね。
島田 はい。でも、行ってみるのがいいと思いますね。
卜部 なるほど。
島田 そうか。あと、やってみるが一番いいんですけど、やってみるは難しいんですかねえ。
須藤 長くなっていいよ。
島田 (笑)よく、「こういう勉強会がないから出れない」っていうことを言ってる人にまれに会うので。
卜部 まれによく会う。
島田 まれによく会うので。
ALL (笑)
島田 僕がそうだったので、あれですけど。まあ合わなかったらやめれば、続けなければよいと思っていて。やったからずっとやらなきゃいけないわけじゃないので、まあやってみて、やってみましたっていうような人が増えるといいんじゃないかなと思うんですけどね、特に地方に関しては。誰かにやってもらうことを期待しすぎると、負荷が結構同じような人に掛かっちゃうなって。大体そういうときって、「じゃあやるか」って言える人が限られているように思うんですよね。1 回やった人はやり方が分かってるから割とカジュアルにやれるんだけど、やらない人はやらないみたいな世界になってきちゃっている気がするんで。
卜部 実際にやり始めるまでが一番大変。
島田 そこが何かあれだなって思っています。
卜部 ありがとうございます。
島田 はい。
卜部 だいぶん生い立ちの話をしてきたので、最初の話に戻ると、フリーランスになったとこまでは聞きました。が、その後は。
島田 その後。
角谷 Ruby 会議 2007 に出撃したところまで。
卜部 会議に突撃したんだけど。
島田 で、Ruby 会議みたいことを札幌でもやりたいと思って、Ruby 札幌の運営チーム作って。Ruby 札幌の勉強会とかイベントとかをたくさんやりながら、フリーランス業をしていて。そのときフリーランスだったのは、すごいちょうどよかったですねえ。本体の Ruby 会議のスタッフとかもやり始めたりしたので、コミュニティ方面が忙しくなってきたら、仕事をちょっと入れないようにしたりして。
ALL (笑)
卜部 働き方が選べるのがフリーランスのいいとこですよね。
島田 多分会社員だったら無理だろうなって思うのがあるので。札幌からつくばの弁当を注文したりとか。
ALL (笑)
角谷 その節は大変お世話になりました。
島田 お客さんのところで作業をしていたら、実行委員会のメーリングリストでスタッフ弁当を注文するタスクが浮いてることが問題になっていて、「ちょっと別件があるんで」って言ってお客さんのところを抜けて、つくばの弁当屋さんを調べて電話して回って注文する、みたいなことをしたりですね。
須藤 すごい。
島田 だから、ちょうど良かったというか。僕がそうしたことにがんがんコミットしたいと思っていた時期とフリーランスっていうスタイルを選択していたのが合っていたんですよね。
島田 で、Ruby 札幌の活動が活発になるにしたがって、学生さんとも多く知り合うようになって。june2911とか kei-s12とかが参加してくれるようになったりもしていて。けれど、知り合った面白い子がみんな東京に出て行っちゃうっていうのもあって。で、寂しいなあと。なんか寂しいんですよって、Ruby 会議の打ち上げか何かで高橋さんに話して。
角谷 学生の間は札幌にいて、札幌のコミュニティ、Ruby 札幌とかに顔出してくれてるんだけど、就職したらそれも行っちゃうから普段は会えない。
島田 そうです。今はだいぶコミュニケーションツールとか状況は変わってはいる感じがしていて。今は多分、東京に行ってようがいまいが結構身近というか、距離じゃないところの関係性ってありますけど、当時そこまでじゃなかったので、行ったらいなくなっちゃうみたいな印象があったんですけど。で、「どうにかしたいなあ」的なことを高橋さんに言ったら「それはおまえの仕事だ」って言われて。
ALL (笑)
角谷 「あ、はい」。
島田 そうですね(笑)「あ、はい」。
須藤 やればいいよ、みたいな感じだったんですか。
角谷 まあ、そう言われても、高橋さんも脱北者だから。
ALL (笑)
須藤 脱北者が外来種に。
卜部 そういう話を真面目にやったんですね。
島田 昔は、そのサッポロバレーというのがあった時代は、面白い人たちを地元の会社がそのままどんどん雇う、みたいなのがあったんですけれど、ちょっとそういう状況、時代でもなくなってきていて。で、札幌でプログラマー、技術者が幸せな状態で暮らせる、生きられるには。みたいなことを何となく真剣に考えるようになって、それがえにしテックの設立に繋がっていくんですけども。
卜部 それ、2008 年頃ですか。
島田 はい。Ruby 会議に行って宿題をもらって、Ruby 会議に行って答え合わせして、みたいなのをずっと 1 年サイクルでね、回していた感じですね。高橋さんと。
須藤 すごい。1 年サイクルで回してる。
島田 で、2009 年の Ruby 会議が終わった後にえにしテック設立、なので。だからそういう。
卜部 えにしテックは、じゃあそろそろ設立から 6 年ぐらい。
島田 6 周年で、今 7 期に入った。
角谷 7 期目。
島田 7 期目。
設樂 7 期。
島田 7 期。
卜部 おめでとうございます。
島田 ありがとうございます。クリアコード先輩も 10 期目、おめでとうございます。
須藤 10 期、入っただけなので。
島田 いや、うちも入っただけなので(笑)
卜部 でも、会社の 3 年とか 4 年とかだと息継ぎなしでばーっといけるけど、そろそろはっみたいな感じで何かいろいろするじゃないですか。どうなんですか、しばらく続けてみた感じとして。
島田 何ていうんでしょうね。最初の、2 人でやってた時代と、4 人、社員が倍に増えた時代と、さらにもっと増えた時代とで、全然同じものとは思えないから。全然違う生き物な感じが。
角谷 じゃあ、期っていっても、数字っていうよりは、えにしテックにどういう人がいるかみたいなので、えにしテックのフェーズが分かれてる感じなんですね。
島田 そうですね。で、常に難しい。その時々の難しさがあるので、ずっと難しいと思いながらやってます。まあ 1 年目とかは勢いでやれてたかもしれないですけど、そのあとはずっと難しいなと思いながらやってます。
卜部 さっきの話だと、エンジニアが楽しい、そのほうがいいっていう話だから、人が増えてく、人を増やすっていうところは、やっぱり 楽しさも中にはあるんですか。
島田 そうですね。社内でいろんな技術の話ができるとか、大きいですね。
卜部 でもあれじゃないですか、従業員が増えるって何か転換点ですね。
島田 そうですね。
島田 だいたい同時期に mayuco と tricknotes が入って、ですね。で、その後で tmaeda さんと、それから noplans さんがアドバイザーとして入ってくれて、最後に一番新しい仲間として ursm さん13が入ってくれて、という感じですね。
卜部 最初 2 人でやってたときと比べて、人増やそうって思ったっていうのは、なんかタイミングなんですか。
島田 タイミングもありますし、mayuco に関して言うと、デザインも含めて 1 つのチームでやれた方がいいものを出せるんじゃないかっていう思いとかもあって。あと、tricknotes は、tricknotes 自身の物語というのがあるので詳しくはあれですが、当時札幌にいなくなってしまうかもしれないという状況があったので、札幌に居てくれたらいいなあっていうところで、じゃあっていう。
卜部 ここに居場所があるんで、っていう。
卜部 リーンスタートアップ。
島田 そんな大層なものじゃないです(笑)で、すごく小さく始めたんですけど。でも、社内でいろいろと楽しくできるようになるために、やっぱり中に人が、僕が頼もしいと思える人がもっとたくさんいて、そこでいろんな技術の話とかができた方がいいんじゃないかと。それには社内に技術コミュニティがあるといいと思ったので、社内に Ruby 札幌があればいいんじゃないかと思うようになって。で、考え方を変えて、きちんと中にいてもらいたい人に声をかけに行って。で、tmaeda さんと noplans さんにも入ってもらったんですよね。で、そうなったら、その後で ursm さんが飛び道具的に加わってくれて14。
ALL (笑)
須藤 社内に Ruby 札幌を作りたい。すごいっすね。
島田 何すか(笑)
須藤 生まれたもともとのところを最後は取り込むっていうのは、ドラマチックだなっていうところがありますね。
島田 そうなんですかね(笑)
角谷 ただ、Ruby 札幌の集まりとかは最近はやってるの?
島田 最近は、やってます。
角谷 定期的にやってるんですか。
島田 最近元気なので、毎週火曜日。
角谷 火曜日に。
島田 火曜日夜、やってます。
島田 何ですか、何かあります?
角谷 いや、いけないなーって。
ALL (笑)
卜部 でも、人増えていくに連れて、新規に大変なものとかもあるじゃないすか。で、ここって最初からここじゃないですね。途中で引っ越ししました?
島田 はい。
卜部 引っ越したのって何年ぐらい前?
島田 去年です。
須藤 tmaeda さん入ってから引っ越したんですか。
前田 はい。半年ぐらいしてからです。
須藤 狭いなって思ったんですか?
ALL (笑)
前田 僕のせいじゃないです。
ALL (笑)
島田 それまでは僕の自宅兼事務所という感じだったんですけど、人が増えてきて。まず僕が最初に追い出される形で、僕の自宅が切り離されて。
ALL (笑)
島田 切り離されたけども、狭いってなって。じゃあって、ここに越してきたんです。前の事務所も横が公園ですごい良かったんですけど、ここも目の前が小学校ですごいいい場所だと思ってます。
卜部 どうですか、会社とか今後どうしていきたいですか。
島田 会社はどうしていきたい…….みんなが健康で。大層な何かがあるわけではなくって、みんなが心身ともに健康で、技術的な興味とかにまい進できたりしながら、ちゃんと暮らせていける環境が継続的に提供できる、ということが一番したいことですね。それがずっとできればまあいいのかな。とはいえ、それってただ暮らすっていう以上のことを何も言っていないので、本当はもっとこう、暮らす理由的なものがあるといいのかもしれないですけど…それはあんまり見つけられていないっていうか。
卜部 あれですよね、人増えてくると、この人はこれが得意だけどみたいな話も増えてき得ると思うんです。そんなのを、例えば、みんないろんなことができるようになった方がいいねなのか、あるいはみんなそれぞれに強みがあって生かしていただこうになるか。
島田 2 つあるのかな。基本的には多様性があった方がいいと思って。うちの会社これだからみたいなのじゃなくって、多様でいいんですけど。けど、多様過ぎても、ある人が体調崩したら他の人が何もフォローできなくなってしまうというのもあると思うので。
卜部 それはつらいですね。
島田 多様ではあるけれどお互いに補える関係、みたいな感じがいいんだろうなってと思っています。でも、まず多様なことを推進したいです。
卜部 じゃあ、これからもえにしテック、人が増えたり減ったりするかもしんないけど、基本的にはそんな感じで。
島田 そうですね。
卜部 みんながやりたいことをできるような世界観。
角谷 お仕事はどういうのが多いですか。最近は。
島田 お仕事。以前はどこかのチームに入って支援するとかが多かったんですけど、最近は人数も増えたので、受託というか、直接お客さんから仕事をうけてという感じの仕事が増えてますかね。相談ごとをいただいて。
角谷 えにしテックが解決するみたいな感じで。
島田 はい。みたいなのものも、少しずつできるようになってきています。
角谷 Ruby じゃないやつも。
須藤 えっ。
角谷 じゃあ、Ruby じゃないやつもあるんですね。
島田 Go とか。
須藤 郷に従えっすね。
ALL (笑)
卜部 結構 1 人チームなんですか。会社の中ではみんなばらばらなことやっているのか。
島田 昔は 1 人チームが多くて、というか、ほとんど 1 人チームだったんですけど。それだと、あまり良くないなと思って、2 人以上でプロジェクトに入れるような仕事の仕方ができるといいなと思っていて。必ずしも毎回それができるわけでもないですけど、その、規模とかにも応じて。でも、基本はそういう風に、と思っています。
角谷 バディで。バディはね、いいと思います。刑事が 2 人一組なのは、危険だからなので。
ALL (笑)
卜部 何の話?
須藤 何かの映画の話じゃないですか。
角谷 2 人一組になるのは、危ないからだからね。
須藤 でも、大体駄目な後輩と優秀な人とかのペアじゃないっすか、刑事って。走り回っていくみたいな感じで。
ALL (笑)
角谷 それは映画とかの見過ぎですよ。
卜部 でも、ペアプロとかもありますんで。
角谷 2 人いけると安心ですよね。せっかくチームっていうか、おんなじとこに所属している人たちがいるんだから。
島田 そうです。
角谷 流しになると、ぼっちなんです。
須藤 流し仲間が。流しバディー。
ALL (笑)
須藤 流しのバディー。
角谷 流し同士でバディー。
卜部 何か話が発散して。
須藤 すみません。
卜部 えにしテックの話、何か他に言いたいことがあれば言っとくといいと思うんですけど。
島田 うーん。
卜部 露出チャンス。
角谷 絶好の。ご活用ください。
ALL (笑)
島田 一番苦手なやつ。なんかありますか。
設樂 いやー(笑)
須藤 どういう感じで声掛かってくるんですか。露出して、知らない人から声がかかってくるみたいなのが多いの?それともツテで。
角谷 お仕事はどういう感じで。
島田 会社で、お問い合わせフォームから。
須藤 知らない人から来ることのほうが多い?
島田 いや、ずっと一緒にお仕事させてもらってるお客さんとかもいますし、大体はコミュニティ経由だったりするんですけど。最近は割とお問い合わせフォームから突然、えっ、みたいなのも。
須藤 インターネットで見ましたみたいな。
角谷 お問い合わせフォームから来るみたいな感じですか。
卜部 あのフォームを作っておいて、意味あるんですね。
須藤 あれね、お問い合わせフォームね、あると来るんすよ、なぜか。
ALL (笑)
角谷 あんなもの誰が使うんだって、提供する側もね。まあー置いておくか、みたいなものですよね。でも置くと
須藤 なぜか来る。
角谷 来る。へー、いいじゃんって。
須藤 そうそう。
角谷 俺も作ろう。
ALL (笑)
須藤 フォームはなぜか来るんですよね。
島田 何でうちに到達したんだろうっていうようなお問い合わせが稀に。よく見つけてくださって、と。
角谷 メールじゃ駄目なんですね。
須藤 メールじゃ駄目なんですよ。
設樂 何か、気軽さがちょっと違うのかもしれないですね。
角谷 まあ、そうか。
島田 そういえば、この間の RubyWorld Conference 2014 で、えにしテックがどうやって会社運営してるかみたいな話はしているので、それを見ていただけるといいなっていうのが15。
卜部 RubyWorld Conference、そういう話とかもするのにいいとこですよね。
島田 そうですね。僕、RubyWorld Conference は参加者として数年 ROM ってたんですが、会社の外側の事例、「こういう仕事をしました」みたいは話は多くあったんですが、会社の中でどうやって、みたいなのは少ないように感じで、それでそういう話も結構大事なんじゃないかと思って、応募して話したんですよね。だから、それもたくさんの人に見てもらえると嬉しいなあと。
須藤 開発するみたうに運営する、みたいなやつでしたよね。
島田 そうです。
角谷 えにしテックに電話したしたら、誰も出ないんですか。
島田 えにしテックに電話すると、今は。
須藤 API がたたかれたりするんですか。
設樂 Twilio から、Go で動いている Odenwa という自社プロダクトで受け付けて、要件を承ってます。
島田 電話で録音されたメッセージがそのまま GitHub issues に登録されて、そこから伝言メッセージを聞ける、みたいな。
角谷 基本はコールバックになるっていうか、その。
設樂 そうです、まさにコールバック。
ALL (笑)
角谷 えにしテックに電話かけると、コールバックされるという感じ。
島田 そうです。電話って開発者の集中を奪う割に、ただの勧誘の電話とか多いし。
角谷 要らないやつとか。
島田 営業電話とか。それで、いちいち社内で電話が鳴るっていうことがそもそもあれだし。で、大事な用件は僕宛だったりすることが多いんですけど、僕が社外に出てることも多くって。そうした僕らの状況にあったソリューションをというところで、この Odenwa っていうプロダクトを作って運用しています。
設樂 遊んでみてください。
ALL (笑)
卜部 今じゃあ角谷社長、電話を。
角谷 えにしテックに電話を掛けること、ないじゃないんですか。だって、電話要らないでしょ。大体 TCP/IP で。
ALL (笑)
角谷 えにしテック、電話番号持ってるんですか。
設樂 しまいには TCP/IP ですけどね。
ALL (笑)
島田 社内の電話は鳴らないので。
(電話中)
角谷 すごい。もしもし、俺だけど。俺、俺。
ALL (笑)
角谷 別に用はないです。あさって電話ください。
ALL (笑)
角谷 すごい。
須藤 issue 確認して。
角谷 これで切っちゃうんだ。本当だ。
島田 来ましたね。
角谷 鳴らない。すごい
須藤 じゃあ、早くコールバック。
角谷 いやいや、コールバックしなくても。
ALL (笑)
角谷 すごいね、本当に鳴らないんだ。
島田 で、GitHub issue からメッセージを再生すると…
(電話音声 角谷:もしもし、俺だけど)
角谷 (笑)
卜部 完全に怪しい。
須藤 オレオレ電話だから。
(電話音声 角谷:もしもし、俺だけど)
ALL (笑)
(電話音声 角谷:電話、電話(笑))
ALL (笑)
角谷 すごい、本当だ。GitHub issues に電話番号も出るんだ。
設樂 あと、電話帳に入れといたら名前も出る。
卜部 へー。
角谷 どこの電話帳に。
設樂 GitHub に yaml があって。
ALL (笑)
角谷 ああ、そうなの、そこに書いておくと、Bot がその番号を引いて。
設樂 issue に名前付きで。
角谷 便利。
島田 で、こうしてみてわかったのは、大体勧誘の人はメッセージを残さないという。だから、本当に大事な電話しか残らないし、便利です。
角谷 出ないっていうので、別にそれであんまり不都合がないんですか?
島田 最初はすごい心配したんですけど、大丈夫かなと。でも、意外と大丈夫でした。でも掛ける人は、あれを留守番電話としか認識しないっていう可能性が高いということもわかって。
角谷 だって、今の、どう聞いても留守番電話ですよ。
ALL (笑)
設樂 おっきな会社に電話したら、機械が受けるじゃないですか。それとおんなじだと思っていてくれればいいんだけど、結構また掛け直すかみたいな。
島田 何回もまた掛け直しますってメッセージを入れてくださって、でもずーっとあれなんですけど…みたいなケースが、たまにあります。
須藤 大きい会社のように見せればいいわけですよね、えにしテックが。
設樂 イチリョウとかにやればいいですかね。
ALL (笑)
須藤 留守番電話ではありませんって先に言うってどうですか。
ALL (笑)
角谷 ガイダンスのお姉さんは誰がやってるんですか。
前田 あれは VoiceText を、HOYA さんの製品を使って。
須藤 これ、開発してるやつを使って。
角谷 そうか、お仕事で。
島田 うちが開発協力している HOYA サービス社さんの音声合成サービスを使わせていただいていて。
須藤 便利。
角谷 便利。
島田 便利です。
角谷 誰に頼んだのかなって思いましたよ。
島田 すごいナチュラルです。
角谷 いいですね。
島田 みなさんもよかったらぜひ電話してみてください。
須藤 でも、出てくれない、コールバックも来ないし。
ALL (笑)
須藤 また角谷だよみたいな、issue もクローズされて。
ALL (笑)
ALL (笑)
島田 迎えに来てって。
ALL (笑)
今津 飲んだとき、誰かに話したくなるときに掛けます。
ALL (笑)
島田 で、お問い合わせフォームも同じように GitHub issues に一緒に入るようになっていて、全部 issue で管理していますっていうのが、RubyWorld Conference での話なので、ぜひ見てもらえるとうれしいです。
卜部 会社の話、そんなもんで大丈夫ですか。
島田 はい。
卜部 じゃあ、普段の島田さんの日常についてですが、社長業ですよね。
島田 はい。そうです。
角谷 社長業とは。どういう。
卜部 生活スタイル的にはどうなんですか。ここに出社してくる系、家でやってる系。
島田 僕は何もなければ出社するスタイルでやっているので、朝普通に会社へ来て夕方帰るっていう感じです。他の人は自由気ままな。
ALL (笑)
島田 どっちでもいいスタイルなんですけど。
卜部 お子さん、おられるじゃないですか。
島田 はい。
卜部 子育てとか大変だったりしますか。
島田 (笑)
卜部 っていうか、そもそも今何カ月なんでしたっけ。
島田 今は 2 歳です。
卜部 2 歳ですか。
島田 はい。
卜部 じゃあ、そんなに寝る時間が不安定とかするわけでもないですね、さすがに。
島田 そうですね。でも大変は大変なので、出社時間とか帰る時間とかも一応割と自由なので、調整しやすいなっていうのはあります。
卜部 じゃあ、子ども、保育園なんですね。
島田 そうです。
卜部 ご飯とかどうしてます?
島田 朝食べて、お弁当は適当に自分で冷凍食品詰めて。
卜部 お弁当なんだ、なるほど。
島田 そうです。
卜部 この辺で食べたりはしないんですか。どうですか、この辺の食事事情。
島田 この辺の食事事情はどうだろう。出社してない人が多いから分からないですね、そこ。
卜部 なるほど。えにしテック的には会社でご飯を食べるとか、この辺でご飯を食べるというのは少数派なんだ。
島田 いや、最近は tricknotes もいることが多くて、mayuco がたまにいて、それ以外の人はいない、みたいな感じですかね。
角谷 全員来る日ってのもあるんだよね。
島田 金曜日ですね。金曜日はみんなでふりかえりをするので、全員出社します。
須藤 そのときは毎回寿司頼んでるんですか。
島田 あー、そういう意味でいうと、金曜日はみんなでランチに行くことにしているので、この辺で全員でご飯食べてます。北大の方に行くと、食事するところは結構あるんですよ。
卜部 大学生街になるから。
島田 はい。この辺にもぽつぽつはある。
角谷 牛舎(ぎっと)がその辺にあるから。
ALL (笑)
島田 牛舎(ぎっと)っていう、僕らだと行きたくなるようなステーキ屋さんがあって16。
角谷 Git のフォークがみたいな。
ALL (笑)
卜部 で、家帰ってご飯食べるんですか。
島田 そうです。
卜部 普通だ。
島田 普通です。17 時過ぎに子どもを迎えに行けるときは迎えに行って、そうじゃないときも遅くならずに帰って、家でご飯食べて、子どもを風呂に入れて、子どもが寝てから、残ってる仕事があれば。
卜部 仕事があれば。
島田 する、という感じです。
卜部 仕事してないときは何やってます?
島田 仕事してないときですか。こないだまでは『Ruby のしくみ』をやってて。今は『なるほど TCP ソケット』とか。会社以外のことをいろいろとやってたり。あとコミュニティのことを。Ruby 会議があるときは Ruby 会議のことしかほとんどしてなかったりしていて。
卜部 何か、えにしテックの仕事じゃないというだけで、仕事漬けですよね。
島田 そうですね(笑)それ以外っていうと、最近は子どもの世話をしている、ですかね。きのう久しぶりに『マッドマックス』、角谷さんに誘われて映画を見に行って、1 年半ぶりくらいかなあ。映画を見るのすら 1 年半ぶりくらい、何もしてなかったですね。
卜部 昔はよく見てたとか。
島田 昔は結構、月に何回か見に行ってとかしてたんですけど、子ども生まれてからは全然。
卜部 子ども中心ですね。
島田 そうですね。
卜部 お子さんの話とかもしてもいいですよ。
島田 角谷さんは会ってもらったことがあって。
角谷 あれ、何カ月だっけ。まだ全然首据わってないぐらいですよね。据わるか据わってないかぐらいの。
島田 抱っこしてもらって。
角谷 すごいちっちゃいときに。
須藤 いいっすね。
角谷 すっごいね、芯があって、この子は賢いって。うちのかみさんと 2 人で。この子は賢いなー。
須藤 おじいちゃんみたい。
ALL (笑)
須藤 これは賢くなるぞ。
角谷 そうそう、そういう感じで。
卜部 でも、どうですか。やっぱお子さんはお子さんの大変さがありますよね。会社を作ったときも大変だったと思うけど、それとはまた別種のものじゃないですか。
島田 そうですね。難しさはありますね。でも、本質的な難しさは変わらないかもしれない。どうなるか分からないけど、とにかくやっていかないといけないし。向こうにも主体があるから、向こうも勝手に変わっていくし、こっちの考え方も変わっていくし。周りで、これがいいっていわれてるものが山ほどあって。
ALL (笑)
角谷 これからは何とかや!みたいな。
島田 これを導入すればプロジェクトがうまくいく!みたいなやつ、たくさん出てるじゃないですか。もっとふんわりとした言葉で。ただ、難しいですよね。でも何か、どうなんだろう。どうなるんすかね。会社とかソフトウェア開発とかでやってるから、「あー」みたいに普通に受け流してやれてることも、割とあるような気もします。
須藤 じゃあ、2 人目の気分なんですね。
島田 (笑)
須藤 えにしテックが 1 人目の子どもで。
島田 でも、家計とか、いろいろ似てるところはあるような気は。暮らしていくためにっていう。うちの会社がそもそもスタートアップみたい感じで「どっかに向けて行くぞ」っていって設立したわけじゃないってところで、なんか割と似てるのかもしれないですねえ。暮らしていく中で、起きてることをうまくやっていきながら、いい感じに暮らしていくっていうやつだと変わんないかもしれない。
卜部 ご結婚されて結構たつんですか。
角谷 卜部さんとこより全然長い?
島田 あぁ、ご結婚おめでとうございます!
ALL (笑)
卜部 はい、ありがとうございます。
角谷 先輩から。
卜部 先輩から後輩に何か言っておきたいこと。
島田 大先輩から。
ALL (笑)
角谷 一つ一つ違うからね。
ALL (笑)
角谷 一つ一つ違うんです。
ALL (笑)
角谷 これはみっちり言わせてもらいます。
ALL (笑)
卜部 きょうは島田さんのインタビューなので。
角谷 ごめんね、人のインタビューで。
卜部 でも、お子さんとかどうですか、プログラミングとかをやってほしいです? 将来。今はまだ全然そんなことないと思うんですけど。
島田 自由でいいんじゃないかな、と。やりたければやればいいしと思ってます。特に何か強制したいとかは何も。
卜部 あるいは禁止したいとかは。
島田 禁止(笑)
卜部 目が悪くなるから駄目とかあるじゃないですか、僕らの親の頃とかか。パソコンばっかしてると目が悪くなりますみたいのあったじゃないですか。
島田 特にないです。
卜部 最近だとほら、小学校とかで Twitter 禁止になったりとかするじゃないですか。
角谷 あれ、利用規約で禁止じゃないですか。
卜部 そうなんだ。
角谷 分かんない。
須藤 サービスの、Twitter の。
卜部 でも、そういうのは特になく。
島田 はい。今のところ、そういうのをしたいとは何も思ってないなって思いました。
卜部 まだだと。
島田 やり過ぎるとかだと困るっていう場面は出てくるかもしれないんですけど、今のところは特に。
須藤 角谷さんのところは、お父さんの趣味を子どもに。
角谷 いや、パソコンとかはまだですよね。
須藤 いや、そっちじゃない趣味の方向を全力で詰め込んで。
角谷 島田さんのインタビューなんで!
須藤 さーせん。
ALL (笑)
卜部 どういう子どもになってほしいとかは特にない感じです?
島田 そうですね。健康で、何かやりたいことをやってくれればいいんじゃないかなと。
卜部 習い事とか、どうします?
島田 どうしたらいいんですかね。何かやりたいって言ったらやるぐらいのスタンスがいいのかな。
卜部 でも、習い事やりたいって言い出すんですかね。
前田 友達の影響でやるのとか何とか。
卜部 なるほど。
須藤 親がやってるとかもあるんじゃないですか。
卜部 親が。
前田 そうそう。大体は、何々ちゃんが習いに行くって言ってるから私も行きたいみたいな感じで始める。
卜部 それでぐっとくるものが見つかればいいですけどね。
島田 本人に任せます。
卜部 ご本人がそういった主体性が出てくるまではちょっと様子見ですか。
島田 そうですね。
卜部 あとは、島田さんの今後の展望について。
島田 今後の展望……今後の展望。
卜部 えにしテックを今後どうしていくとか、島田さんご自身とか。
島田 それでいうと、展望っていうほどでもないんすけど、もっと上手になれるといいなって思ってます。会社の経営もそうだし、プログラミングもそうなんですが。
卜部 上手にっていうのは。
島田 うまくないなって思う部分がすごいたくさんあるので。うまくなりたいなって思って生きてます。
卜部 会社の経営がどこがうまくないんですかとかって、具体的にはあんまり言えないだろうかもしんないけど。
須藤 説明するのが難しいんですよね。
島田 そうです、ここが特別の、さっきの角谷さんの話じゃないですけど、個別、具体的にっていう、あれなのかも。
卜部 えにしテック的には、会社経営マターみたいな話は、島田さんが 1 人全部やってるって感じなんですか。
島田 いや、darashi と 2 人で考えて、という。あと、それをみんなにも聞いてもらったりしながら、形を探る。大体、僕は生煮えで出してみんなにたたいてもらって形を整える、というスタイルで生きているところがあって、そもそも上手じゃないのではやめにみんなに見てもらう、みたいな。でも、もっと本当は自分でちゃんとした形まで持っていけるといいのに、って思うところもあり。
卜部 でもそれって、自分で 1 人でやってたほうが正解に近づくんですかね。どうなんだろうな。
島田 分かんないんです。
卜部 案外、今みたいにやってもらってた方が正解には近くなるのかもしれないっていう気もします、話を聞いてる限り。
須藤 正解ってあるんですかね。
卜部 そもそもそういうことだね。それもあるよね、確かに。
島田 プログラミングだと学び方はなんとなくわかっているんですけど、経営だと本とかも一応たくさんあるんですけど、何か分かんないんですよね。
卜部 経営の本ってどんな感じ。
島田 経営の本って、経営者の人がこういう考えを持ってやってますって書いて。
卜部 『私の履歴書』みたいなやつだ。
ALL (笑)
島田 あと学者の人がいいっていう考え方とかを読んだりするんですけど、何かうーんみたいな。
須藤 『不格好経営』とかも読んだり。
島田 読みました。なかなか、Ruby に、まだ経営の方で言う Ruby に出合えてなくて。
角谷 楽しい。
島田 楽しい。
須藤 たのしい経営。
ALL (笑)
島田 何か、実感を持ってこうだっていうのが、会社をやってく中で分かることはあるんですけど、それなのですごい時間が掛るっていうか。一個一個確認しながらやってくしかなくって。それは時間は掛るじゃないですか。なんか大変っすよねえっていう。
須藤 ikeiei があると。irb みたいなやつがあると。
島田 ikeiei。ikeiei っていうと、Apple の製品みたいな感じじゃ。
ALL (笑)
須藤 インタラクティブの i ですよ!インタラクティブ経営。
島田 インタラクティブ経営。
角谷 keieishell があればいいわけですね。
ALL (笑)
須藤 keieishell。
角谷 kshell。
須藤 keiei again shell。
角谷 kash!
ALL (笑)
島田 これ完全に文字起こしできない……17
ALL (笑)
島田 プログラミングのほうでいう Ruby みたいなものは無いから、もやもやしながら 1 個ずつやっていって、ちょっとずつ経験値をためていってる感じです。
卜部 私生活のほうはどうですか。これやりたいとか。
島田 特にないかなあ。ちゃんと生活できていればいいかなって感じです。
卜部 今できてないんですか。
須藤 今は回ってるんですよね。
島田 うん(笑)まあ、だから、そんな感じで。ゆとりを持って生きていければいいんじゃないかなって気持ちも。
卜部 ゆるゆると続いていくといいなっていう感じですか。
島田 そうですね。
卜部 ありがとうございます。大体聞いた気がするんだけど。他に質問がある人。
須藤 好きな女性のタイプとかは聞いてない。
卜部 好きな女性のタイプ。
角谷 若い読者のメッセージが。
卜部 好きな女性のタイプ、既婚者に聞いてもあんまり意味ないっていう結論に達して。
角谷 もういるか。そうそう。奥さんですって言う練習だから。
ALL (笑)
角谷 奥さんですって即答する練習。
須藤 はい遅かった、もういっかいねって。
ALL (笑)
卜部 あ、尊敬する人を聞くのを忘れてた。尊敬する人。
島田 尊敬する人は、今だと、えにしテックの中にいる人たちかな。みんなすごいなーって思って。
卜部 比較的近い人っていうか。
島田 そうです。えにしテックやる前だったら、多分 Ruby 札幌のコアな人たち運営チームの人たちとか june29、kei-s みたいに言ってただろうし、今だと一番近いえにしテックの人たち。
卜部 顔が見える人たちですね。
島田 うん。
須藤 関さんみたいだ。
島田 だって、近くにいる人の方がすごさって分かるじゃないですか。
ALL (笑)
須藤 なるほど。
卜部 では、前のインタビューイとか、次に誰にするかとかっていう話をしたいんですけど、前は誰から来たかっていうと、これは大場さんから来たんだよね。
島田 はい。
卜部 大場さんとはどういった知り合いですか。
島田 万葉先輩。
角谷 万葉先輩とは?
島田 えにしテックを設立したときに、Ruby のコミュニティに近いところで会社をやってたのが、僕から見えてる範囲だと永和さんと万葉さんとクリアコードさんっていうのが居て。僕は先輩だと思っていて。えにしテックは、クリアコード先輩と万葉先輩と永和先輩の後を付いていくぞっていう感じで始まったので。大場さんっていうのは、先輩経営者というか、見習いたいなと思っていますね。あと、仙台 Ruby 会議のときに、大場さんがされてた「Ruby の教えてくれたこと」っていう発表が、すごい良かったんです18。
須藤 プレゼンとかもしたんですよね。
島田 そうそう、それがすごい良かったんで、僕大体その後からやるプレゼンは「Ruby の教えてくれたこと」っていう19 20。
須藤 タイトル?
島田 タイトルになるぐらい良かったなって思っていて、結構尊敬している人ですっていう感じですかね、大場さん。大場寧子さん、大場様のほう。
須藤 あれ、光一郎くんは?
ALL (笑)
島田 大場さん。
須藤 あのとき 2 人いたんですよね。夫妻ですよね、あれ。
卜部 あのときは、大場さんが「お子さんおめでとうございます」って言ってて、大場様は「今後のご活躍を心から応援してます」って言ってました。
須藤 大人ですね。
卜部 で、万葉.rb っていうのをやっていて、そこで島田さんが話してくれたのがすごく良かったという話をされてました21。
島田 そうですね、先輩の大事なお祝いの席で挨拶をさせていただきました。あれは良い会でしたねえ。
島田 光一郎さんは、いつの Ruby 会議だったか……気づいたらもう顔見知りになってた感じで、最初がもう全然思い出せないんです。
卜部 それ古いのか。
島田 で、仲良くさせてもらってて。えにしテック立ち上げた当初、僕が仕事で頻繁に東京に行ってたんですよね。で、12 月、年末ぐらいになると大場夫妻に呼んでいただいて一緒にご飯食べようっていう会があって、何回か誘っていただいて、そこでいろいろ相談したり話できたりしたのが、すごい良くって。いつもお世話になっていて、これからもよろしくお願いします、というのが大場夫妻へのメッセージですかね。
卜部 次は。
島田 次は須藤功平さんに。
須藤 はい。
ALL (笑)
島田 るびまのインタビューに。でも須藤さんの回があるのかと思うとないんですよね、野次馬専門で。
ALL (笑)
島田 須藤さんが東京に出てきた頃からどこに住んでるのとか、話はちょこちょこ出てくるんだけど、別に須藤さんの回じゃない22。
ALL (笑)
島田 「東京出てきてどう?」みたいな。
須藤 ああ、そういうのありましたね。
島田 っていうのがあって、Rubyist として須藤さんの話はちゃんと独立した回としてあるべきじゃないかなと思うので、次は須藤さんにお願いしたいと思ってます。
卜部 どこでやります?
須藤 じゃあ、ここで。
ALL (笑)
卜部 せっかくだからクリアコードでやってもいいしね。
島田 そうですね。万葉は万葉でやって、えにしテックはえにしテックでやったので、クリアコードはクリアコードでっていうのがいいんじゃないですかね。
須藤 うちにはこういう場所、ないですよ。
角谷 あれ? でも後ろ、何かあるじゃない、スペース。
卜部 でも、万葉さんでやったときも、万葉は今の社屋じゃなかったので、まだ会議室とかなかった頃ですよ。
角谷 でかい机。
卜部 あのメンバーが、そう、みんながでかい机に座ってた頃。
須藤 あー。
卜部 じゃあ、よろしくお願いします。後は何を聞くかっていうと、若手に一言っていうやつですね。
島田 若手に一言……幸せに生きてください、ですかね。
ALL (笑)
須藤 遺言もらった感じになってますが大丈夫ですか。
ALL (笑)
卜部 でも、そういうふうに言われても、どういうふうにすればいいか分かんないっていうのが実際のとこだと思いますけど。どこから手を付ければいいですか。
島田 自分が大切だと思ってるものを大事にするといいんじゃないですかねえ。
須藤 幸せ実感することってあります? 島田さんって。
島田 ん?(笑)
須藤 何かこう、幸せになってくださいと。
島田 いや、あります。あります。
須藤 ああ、そうですか。何かすいません。
ALL (笑)
島田 あー、だから、おいしいものを食べて、ちゃんと眠って朝起きて、で、何かしてください。っていう。そういう風に暮らすっていうのがなんか。
須藤 幸せじゃないかと思う。
島田 食べ物が美味しいのはいいことだと思いますし、寝てすっきり起きるも幸せなことだと思います。朝の日とともに起きる。
須藤 かっこいいですね。おじいちゃん。
ALL (笑)
卜部 若手じゃない普通の読者の皆さんには何か。
島田 普通の読者って。
須藤 いるんですかね。
卜部 ね。分かんないですよ。僕、るびまの読者層とかあんまり把握してないので。
設樂 実は若手の人が読んでなかったり。
ALL (笑)
島田 ありそう。
角谷 おっさんばっかり読んでて。
島田 読者の人には…るびまの読者だったら、結構 Ruby コミュニティに近い人が多いと思うんですけど。るびまの編集とかやってる人とかも、そんなに多分距離として変わらない人が編集してたりするし、記事書いてる人もそんな変わんないと思うので、読者以外の立場に 1 回なってみると、るびまっていうものの自分の中での印象とか関係性がちょっと変わったりして、いいものになると思うので、ぜひ読者以外の関わり方をしてもらえるといいと思っています23。
卜部 いいですね。
角谷 理事っぽい。
須藤 理事感ある。
ALL (笑)
卜部 もう僕が聞きたいのはそのくらいなんですけれど、他の皆さん、大丈夫ですか。
ALL 大丈夫です。
卜部 はい。じゃあ、きょうはどうも長々とありがとうございました。
島田 ありがとうございました。
https://speakerdeck.com/snoozer05/joyful-ruby ↩
https://www.youtube.com/watch?v=f_pPGiWfMtY&list=PL5zvpY1TVrr9XW8-DrrxKzPptbAfJTm9Q ↩
今はここに移設されてました http://codezine.jp/article/corner/267 ↩
インタビューは「しまだ Ruby 会議」の際に使用した資料を見ながら行われました。 ↩
https://twitter.com/sumim ↩
https://twitter.com/noplans ↩
https://twitter.com/mrkn ↩
https://twitter.com/moro ↩
https://twitter.com/niku_name ↩
http://www.tv-tower.co.jp/tv-tosan/ ↩
https://twitter.com/june29 ↩
https://twitter.com/kei_s ↩
https://twitter.com/ursm ↩
インタビュー時点。その後、2015 年 10 月に初の新卒社員である cafedomancer を迎え、今は 8 人に。 http://www.enishi-tech.com/members.html ↩
https://speakerdeck.com/snoozer05/company-hacking-guide-were-developing-our-company ↩
http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010201/1003829/ ↩
頑張りました。by 編集部 ↩
http://www.slideshare.net/nay/sendai-ruby02 ↩
http://www.slideshare.net/snoozer05/20101204-youmustunlearnwhatyouhavelearned ↩
http://www.slideshare.net/snoozer05/20110718-youmustunlearnwhatyouhavelearned-rivisited ↩
https://speakerdeck.com/snoozer05/there-are-no-more-islands ↩
http://magazine.rubyist.net/?0014-Hotlinks#l6 ↩
よろしくお願いします。 by 編集部 ↩