Rubyist Hotlinks 【第 7 回】 江渡浩一郎さん 後編
初稿:2005-06-19
はじめに
著名な Rubyist にインタビューを行う企画「Rubyist Hotlinks」。
前回からの続きで、江渡浩一郎さんにインタビューした、その後編です。主に江渡さんの人物像に迫ります。
前回と同様に、インタビューには、田中哲さんに同席していただきました。
前編について
Rubyist Hotlinks 第 6 回 江渡浩一郎さん 前編
前編では、おもに江渡さんと Ruby の関係についてお送りしました。あわせてご覧下さい。
インタビュー (後編)
- 聞き手
- ささだ
- 語り手
- 江渡さん
- 野次馬
- 田中さん
- 日にち
- 2005 年 4 月 8 日
- 場 所
- 産業技術総合研究所 (文京グリーンコート)
目次
生い立ち
電気屋さんに走る小学生
- ささだ
- 生い立ちのほうから作品のことについてまで伺いたいんですけど、生まれは?
- 江渡
- 東京です。ずっと東京ですね。子供の頃は青森に住んでました。
- ささだ
- この方面の興味が目覚めたのは?
- 江渡
- 高校生ぐらいかなあ。
- ささだ
- じゃあ、小学生くらいは普通のって、言い方がアレですが。
- 江渡
- 本とか沢山読む子供でしたね。夏目漱石とか。
- ささだ
- そういうのが好きだった?
- 江渡
- そういうの読んでましたね。コンピュータは小学校4年生くらいになってからですね。
- ささだ
- コンピュータは親御さんの、ということですか? 自分用に買ってもらったとか?
- 江渡
- いや、 『ナイコン族』という奴です。
- ささだ
- なるほど。電気屋さんで。私なんかは電気屋さんに走る世代ではないんですが。電気屋さんでは何作るんですか?
- 江渡
- うーん、いい質問ですね (笑) 行動パターンとしては、『マイコン BASIC マガジン』に、PC-6001 用のゲームのコードとか書いてあって、それを打つわけです。打って、ああ動いた、と (笑) そういうパターンでしたね。あと、友達の家でやることも結構ありました。MSX を買ってもらったのが、小学校6年の時だったかな。そのころは PC-98 のアセンブラの本なんか読んでました。
- ささだ
- 小学校6年の時に MSX を買ってもらって、アセンブラの本を買ってもらって読んでいた、と。
- 江渡
- アセンブラの本は図書館で借りて読んだ。
- ささだ
- ゲームとか作ってたんですか?
- 江渡
- 作りましたね。どうしようもないゲーム作りましたね (笑)
- ささだ
- ゲームは結構やってたんですか?
- 江渡
- やってましたね、ゲーム。
- ささだ
- そのころのゲーム機だと何になるんですかね? MSX とか?
- 江渡
- ちょっと前にファミコンが発売され始めたくらいだから、あの頃はゲームといえば PC-8801 とかのマイコンでした。『ブラックオニキス』とか、すごいはまってましたよ。
300 baud でパソコン通信する中学生
- ささだ
- 中学生でも MSX。
- 江渡
- そうですね、僕の持ってるものとしてはそれだけですね。順番で言うと、その時期にパソコン通信てものに目覚めてるんですよ。
- ささだ
- えーっ! 凄い!
- 江渡
- 目覚めたというか、最初にやりたいと思ったのは小学校 6 年生くらいかな。たしか『PC ワールド』というタイトルの雑誌があって、珍しくアメリカの文化を紹介するみたいな記事がありました。で、「僕の書いた書き込みをシスオペが勝手に消してしまった」っていう記事がのっててさ、最初はまったく意味がわからなかったんだけど (笑) これはどういう意味なんだろうな、と思って。僕のコンピュータは僕のものなわけで、そこに書き込んだものをどうやったら他人が勝手に消せるんだろう?とすごく疑問に思ったの。よく読んでみると「電話回線に繋ぐんだ」って書いてあって、「コンピュータの信号を音に変換するアダプタがあって、それを電話回線につけて、それを通じて遠くの離れたコンピュータと情報が通信できるようになっている」と書いてあって、それでガーンとショックを受けた。そんなことをやっている奴がいるのか、と。天才じゃないかと思った。
- ささだ
- それが小学 6 年生。
- 江渡
- うん。それで凄い衝撃を受けて、自分でもやろうと思ったんだけど、そのときは出来なくて、中学 1 年生でも出来なくて、2 年生になってようやく 300 baud のモデムを買うことができた。自分のお金で買いましたね。モデムといっても今の常識とは違っていて、 AT コマンドってものは無かった。自分で手動でダイヤルして、ピーっと音がしたらボタンを押すと繋がると、そういう仕組みになっていた。
- ささだ
- 300 baud。
- 江渡
- 300 baud でしたね。その次が 1200 baud だったんですけど、すごく速くなってうれしかったですね。いきなり四倍速ですからね。
- ささだ
- どこに繋いでたんですか?
- 江渡
- ASCII ネットですね。
- ささだ
- そんな頃からあったんですか?
- 江渡
- ASCII ネットは一番最初からありました。いわゆる草の根 BBS は、その前から少しはあったんだけど、その後に増えはじめた。
- ささだ
- 凄い中学生ですね (笑)
- 江渡
- あまり自覚は無かったけどね。リアル厨房でした (笑)
- ささだ
- 周りに同じ趣味の人というのは。
- 江渡
- いませんでしたね。比較対象はいなかった。
- ささだ
- なるほど。
- 江渡
- そのころは、 OFF 会とか行ってたなあ。
- ささだ
- 中学生で (笑)
- 江渡
- ASCII ネットの SIG の中に、BOOKS っていう本を読む SIG があって、月に一冊テーマ図書を決めてそれをみんなで読むというのがあったんだよね。それで、ハインラインの本が紹介されていて、そこから SF にはまったんだよね。SF を読みはじめて、ハイラインは殆ど全部読んだ。あと、クラークとかアシモフとかガンガン読んでいった。それで、図書館にあったSFっぽい本はだいたい全部読んでしまったから、しょうがないから近いのってことで村上龍とか読み始めて、それで村上龍と坂本龍一が日本の思想家とか哲学者にインタビューするっていう本を読んだ。それを読んで初めて、「そうか、現代思想とか哲学って分野があるんだ」と思って、哲学の本を読むようになった。
アートに目覚めた高校生
- ささだ
- それがいつ頃ですか?
- 江渡
- 高校 2 年生じゃないかなぁ。
- ささだ
- おお。
- 江渡
- 高校 1 年生の時はまだ SF しか読んでなかったから 2 年生ですね。それが EV カフェっていう本だった。『ブレードランナー』って映画とか、そういう先端的な映画とかアートとかの紹介とか、村上龍によるインタビューがあって、凄く面白かった。
- ささだ
- じゃあ、アートとか、現在本業にされているものとの出会いというのが高校時代ですか。
- 江渡
- そうですね。記憶を辿り返すと EV カフェが接続点ですね。村上龍と坂本龍一は、僕にとっての神様みたいなものです (笑)
- ささだ
- なるほど。その頃はパソコンなどとは離れてアートに、という感じなんですか?
- 江渡
- いや、当時は自分が造る側に立って関わるなんてことをこれっぽちも考えてなかった。アート関係は面白いものではあるけれど、自分でやるものとは思ってなかった。
インターネットを知った大学生
- ささだ
- 大学では何をやられていたんですか?
- 江渡
- 学部は慶應義塾大学環境情報学部ですね。
- ささだ
- そこに行かれたのはやっぱりアート関係ですか?
- 江渡
- 藤幡正樹教授がいるし、村井純教授もいるし、もう知ってる名前ばかりだったんですね。これは俺に入れと、そう言ってるんだなと、そう思ったんですね (笑) 浪人時代に、あちこちの大学にもぐって、勝手にコンピュータ環境とか調べてたんですよ。「ここの大学はこんなマシンが並んでる」とか (笑) 東大だと FMV が並んでいたりしたんだけど、慶応だとワークステーションが40台くらいズラーッと並んでいた。UNIX にログインでしょ。ログオンじゃなくてログインですよ、やっぱり (笑) しかも、教室の一番後ろにレーザプリンタが繋がっていて、そこにさりげなく VT100 がつながれている。「VT100 が実用品として使われてるじゃん!」と思って、絶対ここだってことで決めた (笑) NEWS とか SUN とか、すごくいいマシンばかり並んでいて。まぁ Luna も置かれてたのはご愛嬌ってことで (笑)
- ささだ
- なるほど。
- 江渡
- でも今から思うと逆に信じられないのは、大学に入るまでインターネットっていう言葉を聞いたことがなかったってことですね。
- ささだ
- 何年くらいのことですか?
- 江渡
- 91 年ですね。マシン同士が繋がっていて、ファイルサーバってのがあって、というのは理解できたんだけど、それが同じように外にも繋がってるというのは理解できなかった。そのときは、学校の外に通信するには、事前に許可をもらわないといけないと思ってたんですよ。でもu-tokyo とかにも普通に繋がるんですよ。「何で?」とか「電話代幾らかかるんだ?」とか「電話代誰が払ってるんだ?」とか思っていたわけです (笑)
- ささだ
- そのころ繋ぎにいくものというと?
- 江渡
- anonymous FTP ですね。雑誌(学会誌)を見てたら anonymous FTP というのがあるという解説記事が書いてあった。その時は anonymous っていうのが読めなくてね。書いてある通りに入れたら、ちゃんと入れた。そういうわけで anonymous FTP で u-tokyo に繋がったんだけど、それだけじゃなくて海外にもまったく同じように普通に繋がるのにはビビりましたね。電話代幾らだろうと思って (笑)
- ささだ
- ちなみに村井純先生をご存知だったのは何で?
- 江渡
- 小学生の時から知ってましたね。
- ささだ
- 村井純先生を知ってる小学生 (笑)
- 江渡
- ASCII って雑誌を小学生の頃からずっと読んでたから。
- ささだ
- どんな経緯で ASCII に? あの、私は村井純というとインターネットの人という印象しかなくて。
- 江渡
- そうなんだけど、元々 UNIX の人だったんですよ。
- ささだ
- そうなんですか。
- 江渡
- そのちょっと後に JUNET の人になったんだけど、その前に UNIX といえば村井純、村井純といえば UNIX、みたいな雰囲気あって、それが小学校の頃だったなあ。
- ささだ
- 小学校の頃から UNIX 知ってたんですか?
- 江渡
- 名前はね。小学校の頃は存在してるってことを知ってるだけだった。C 言語というのもあるんだなーと思いつつ BASIC を使ってた (笑) 砂原秀樹の『Dartmouth からの脱出』ってのを毎月読んでました。知ってます?
- ささだ
- 知らないです。
- 江渡
- 砂原秀樹先生という人がいまして、『Dartmouth からの脱出』っていう連載が続いてたんです。Dartmouth というのは BASIC 発祥の地で、その当時はプログラムといえば BASIC が当たり前の時代で、それ以外にもプログラミング言語があるってことが殆ど紹介されていなかった。それ以外にもコンピュータサイエンスの世界にはいろいろあるっていう話が平易に書いてあって、すごく面白かったですね。
- ささだ
- 砂原先生って今、奈良先端におられる先生ですか?
- 江渡
- そうですね。
SALA
- ささだ
- で、大学に入られて、活動を始められた、と。
- 江渡
- 主に大学以外で活動してましたね。大学 1、2 年の頃は、任天堂・電通ゲームセミナーというところでゲームを作ったました。もう一個顔を出していたのがSALAですね。
- ささだ
- SALA?
- 江渡
- Sony Science Art LAboratory。ソニーがお金を出して、学生が無料で自由に使える研究施設を開放してたんです。学生なら 24 時間誰でも自由に使えるという環境で。今でも活躍されている研究者もたくさん同じ場所にいましたね。産総研の後藤さんに会ったのもここが最初です。
- ささだ
- そこは、特に SONY が見返りを要求するとかではなくて?
- 江渡
- そうです。
- ささだ
- 凄いところがあったんですね。そこをきちんと押さえている江渡さんも凄いですけど。
- 田中
- 俺は結局そこ行かなかったんだよね。学祭のときに来て、コンピュータ関係のクラブにお誘いをしてましたね。
- 江渡
- 何年生の頃?
- 田中
- それはちょっと覚えてないです。
- 江渡
- 僕はお誘いとか無かったけど、関係なく行ってた。SFC で行ってたのは僕一人だったんじゃないかな……。理工学部にもう一人いて、彼は結局大学院から SFC に来ましたね。変な人がいっぱいいました (笑)
任天堂・電通ゲームセミナー
- ささだ
- なるほど。で、任天堂のほうのセミナーにも参加されてた、と。
- 江渡
- そうです。任天堂・電通ゲームセミナーていうのは、今でいうゲーム学校のはしりみたいな存在で、受講料無料で、しかも任天堂のプロの人が直接ゲーム作りを教えてくれるというセミナーでした。受講料無料なんだけど、面接などの入学試験が結構ハイレベルだった。授業もかなりハイレベルで、6502のアセンブラの授業では、プログラミングのセオリーも教えてくれました。あとは絵作りというか、画面上の動きをどうやってリアルに見せるのかとか、ゲームデザインにかかわる授業もあった。例えば、魚がいて尾びれを動かして前に進むとしますよね。普通は、尾びれを動かすと前に進むっていう風に短絡的に考えちゃうんだけど、そうじゃなくて、ちゃんと因果関係を考えないといけない。最初は尾びれを動かしても前には進まなくて、ワンテンポ遅れてから前に進みはじめる。そして最後に尾びれを止めても、しばらくはスーッと前に進み続ける。慣性の法則が働くから。そういう風に動かすと、リアルに見えるようになるんだけど、そういう人の感性に訴えかけるようにするにはどうしたらいいかという話をだいぶ教わりましたね。それで、自分で作りたいゲームの企画を出して、いくつかのチームに分かれて実際に製作開始となる。
- ささだ
- それが 2 年間?
- 江渡
- 2 年間ですね。一人 1 台開発機材として、ICE、ようするにファミコンのエミュレータで、デバッガで run するとTV に画面が出るという環境が与えられて、それで作っていく。1 年目の終わりに作ってきたゲームをプレゼンテーションをして、その中でいくつかのチームだけは販売に向けてのプロセスに進むことになって、その次の 1 年間はずっと販売に向けてのブラッシュアップをしました。
- ささだ
- その人たちだけが 2 年目も?
- 江渡
- 販売トラックに載ったのは 3 チームだけなんだけど、それ以外の人達も残ってゲーム作りは続けてた。その 3 チームの人たちは任天堂のプロの開発者の人たちが監修について、コンセプトとかタイトルとか、オープニング画面から初期設定からメニュー画面から全部ガンガン直していった。「素人ががんばって作ったゲームらしきもの」が、プロの手によってどんどんブラッシュアップされて、「売り物としてのゲーム」に変身していったんだけど、その過程は無茶苦茶にいい経験になった。
- ささだ
- じゃあ、大学 2 年生はゲーム作りの年だったわけですか。
- 江渡
- でしたね。単位は落としてましたからね (笑)
- ささだ
- なるほど (笑)
- 江渡
- 昼間は学校行って、終わってから帰ってきて朝までゲーム作って、それでまた学校行って。それでも間に合わなかったから結局単位は落してましたね。
- ささだ
- それは、期日が決まってるんですか?
- 江渡
- 開発期間が 1 年というのは決まっている。で、大変な思い出があるんだけど、ちょうど開発の中頃にやったプレゼンテーションが、僕のせいで止まっちゃったんだよねぇ。
- ささだ
- プレゼン中にゲームが止まっちゃったんですか?
- 江渡
- そう。ちゃんとテストしてないコードを入れて、そうしたらプレゼン途中で動かなくなっちゃってさ。
- ささだ
- 大変だったんですか?
- 江渡
- 大変でした。だって、そのプレゼンを失敗したら、下手したら販売プロセスから外されちゃうわけなんだからさ。とはいえ結局外されることはなく、先に進むことができて。まあ、そのくらいの時に、重要なプレゼンで失敗したっていうのは、今にして思えば大変いい経験でした。実を言うとそのときは僕はロボットのエディタ作りをしてたんです。ロボットが二体でてて対戦するゲームなんだけど、ゲームそのものにエディタ機能を搭載しようと考えていたんですね。
- ささだ
- ゲームを買った人が自分のロボットを作れるように?
- 江渡
- そう。すでに用意されてるロボット同士で対戦させるというのは、それそれで楽しいだろうけど、自分でロボットをデザインして、そのロボット同士で戦わせられるようにしたら楽しいだろうと思って。最終的には、そのゲームはディスクシステムじゃなくて ROM で出すことになったから、そのアイデアは却下になったんだけど。
- ささだ
- 保存できない、と。結構後期のゲーム?
- 江渡
- その『ジョイメカファイト』ってゲームは、後で調べたら、実質的には任天堂が出した最後のファミコンのゲームだったんですね。その後にも数本でてるんだけど、テトリスはリメイクだし、ゼルダの伝説はディスクシステムで出したものを ROM で出し直しただけなので、普通に出た新作のゲームとしては最後のゲームだった。
- ささだ
- ディスクシステムはもう無かったんですか?
- 江渡
- その時はもう無かった。開発を始めた 91 年には既にディスクシステムは消えかかってたんだけど、開発機材としては便利だったから、最初はディスクシステム上で開発してた。さすがに最終的には ROM で出すということになりました。92 年の冬にはもうプロダクション状態になって。まず機能 Fix をして、これ以上仕様を追加しないという状態にする。それからテストプロセスを始めて、バグを直していって、バグが無くなったらマスターアップと。
- ささだ
- それで、発売が 93 年ですか。
- 江渡
- 93 年の 5 月ですね。
- ささだ
- デバッグとかはやっぱり大変でしたか? 私はアセンブラだけでの開発は経験が無いもので。
- 江渡
- 別に普通のプログラミングと同じなんだけどね。ただ一個、最後の最後まで取れないバグがあって、結局それはタイミングの問題、今で言うスレッドみたいな問題だったんです。テレビの走査線に合わせて、1/60 秒で割り込みがかかるようになっていて、その割り込みを一単位としてプログラムを走らせるようになっているから、次の 1/60 までに計算を終わらせなきゃいけない。でも、たまにオーバーしてしまって、途中でプチっとプロセスが切れてしまう。そのときたまたま割り込み処理をしてると、最終的に値が不正になって実行が継続できなくなってしまう、ということだったんです。そのバグがなかなか再現しなくて最後まで残りました。そういうわけで 6502 のアセンブラといっても普通のプログラミングの問題とあんまり変わらないです。
- ささだ
- C は使わない?
- 江渡
- その頃はアセンブラだけ。当時は既にスーパーファミコンの時代になってたんだけど、スーパーファミコンでも C は使ってなかった。スーパーファミコンでは 6502 とバイナリ互換があるCPUを使っていたから、ほぼ皆アセンブラを継続して使ってた。例えば光栄みたいな、ごく一部の限られたメーカーだけが C を使ってました
- ささだ
- で、このゲームが発売になって、これからもゲームというふうにはいかなかったんですか?
- 江渡
- うん、いい質問ですね (笑) 自分で主体的に物作りすることをやりたいと思って、何となくアートのほうに来た。ゲーム業界だと、どんなものを作りたいか考えることと、実際に作ることとが分離してるんだけど、アートでは分離していないから、自分で考えて作るのが当たり前なんです。
大学の活動
- ささだ
- なるほど。では、ゲーム作りが一段落した後は、どんな活動に?
- 江渡
- 3、4 年はゼミで作品を作ってましたね。藤幡正樹ゼミに入って、ゼミの課題として作品を作ってました。『近づくと遠ざかる本』っていう作品なんだけど、画面の中に本が置かれていて、なんて書いてあるのか読もうと思って近づくと、すーっと同じだけ本が遠ざかってしまう、という作品でした。
- ささだ
- なるほど。そういうのは卒業研究みたいな感じで?
- 江渡
- それは 3 年生だから卒業研究ではなかったんだけど、4 年生ではまた別の『でこぼこセザンヌ』という作品を作りました。セザンヌの絵を基にして、明いところを出っ張らせて、暗いところを凹ませて、でこぼこの板にする。それに元の絵をマッピングした CG を描く。そういう CG 作品を作ってました。
- ささだ
- CG の作品としてはそれが最初?
- 江渡
- CG の技術自体には大学 1 年の頃からずっと興味があって、いろいろ作ってました。実は順番が逆で、CG で使うフリーソフトが欲しかったから FTP を使って調べてたんですね。FTP を使うと面白いソフトをもってこれるというのがわかって、あちこち調べてました。なので、CGも 1 年の時からずっとやってました。
- ささだ
- その次は大学院ですか? 大学院でも大学 3、4 年の延長で作品を作られたりした、と。
- 江渡
- 大学院は所属はしてましたけど、全然行ってませんでしたね (笑)
アートなどの活動
:
InterCommunication’95 on the Web
- ささだ
- 大学院のほうでのバイトってどんなのをやってたんですか?
- 江渡
- 95年は、InterCommunication’95 on the Web っていうイベントのディレクションをしてました。インターコミュニケーションセンターというメディア・アート専門の美術館があるんですけど、その施設が出来る前に、1 年に 1 回プレイベントというイベントをしていたんです。その一つとして 95 年にはインターネットの上での展覧会を企画しました。四人いるディレクターの一人として僕が入って、企画から運営、制作などやりました。自分自身もアーティストとして参加したんですけど、それ以外に立花ハジメさん、松本弦人さんに作品製作を依頼して、実際のリアライズは僕がやりました。サーバのメンテナンスとか、ナビゲーション用の HTML とかもやってて、大変でした。
WebHopper
- 江渡
- その後に、Internet World Expo というイベントがあって、その日本テーマ館として sensorium というプロジェクトがあったんですが、そこに参加しました。96 年の 12 月に向けて、俺が作品を作るって言って、結果的に出来たのが WebHopper っていう作品。例えば誰かがアメリカにある Web ページを見ているとしますよね。そこからリンクを辿ってヨーロッパのホームページを見に行ったとすると、その人は仮想的にアメリカからヨーロッパに移動したと見ることもできる。その地球上での移動の軌跡を、世界地図上で光の線としてリアルタイムに表示するというのがこの作品。
- 田中
- どうやってるの?
- 江渡
- 使っている技術としてはネットワークの監視、tcpdump なんです。WIDE プロジェクトが持ってる海外回線の根元のところをタップして、ポート80のパケットからFromとToを抜き出す。そのIPアドレスをドメイン名に逆変換して、ドメイン名から whois を見る。その住所から zip コードを取り出す。zip コードのレベルでの緯度経度情報のデータベースがあるから、そこで緯度経度情報に変換する。アメリカ国内とカナダ国内はzipコードレベルの精度があるんだけど、それ以外の国では諦めて、国別で首都にマッピングした。そういう意味では割と適当なんだけど。
(WebHopper のムービーを見ている。このムービーは江渡さんのサイトで見ることができる)
- 江渡
- このムービーの中の動きは、実はデモモードで、あらかじめ記録した飛び先に飛ぶモードなんだけど。この作品を含む sensorium project が、翌年の 97 年に Ars Electronica というメディア・アートでは一番有名な賞のグランプリをとった。たまたまArs Electronica Centerの開館の年だったから、これをセンターの常設展示にさせてくれと頼まれて設置したのが、ムービーの最後に出ているシーン。この階にはネット端末が並んでいて、真ん中にでかいスクリーンが置いてある。それぞれの端末は8色に色分けされていて、どの端末がどの国のサイトを見ているのか、すぐにわかるようにした。かなり長い間ここに常設展示として設置されてたので、一番見た人が多いっていう意味では自分の代表作ですね。
- ささだ
- 面白いですね。今見ても面白い。
RemotePiano
- 江渡
- 何の因果か 96 年はもう一個大きいのをやってます。坂本龍一さんと岩井俊雄さんの 2 人がコラボレーションでコンサートをするという話があって、俺にも何かやらせてくれって言って参加させてもらい、作ったのがRemotePiano という作品。コンサートは、坂本龍一が音楽を奏でるとそれが映像に変換され、逆に岩井俊雄が映像を動かすとそれが音に変換されるといった、すごくユニークなコンサートだったんですけど、そこにネットという要素を加えるとどうなるかというのが元々のコンセプト。会場の様子をネットを使って生中継するというのは、当時でもすでに当たり前でした。その逆をやろうと考えた。コンサートの様子をネットを使って配信するだけじゃなくて、逆にネットを使って情報を集めて、それがコンサートに反映される仕組みを作ったら面白いに違いないと思って。
- ささだ
- ふむふむ。
- 江渡
- 一番最初のバージョンはとても単純なものでした。ブラウザの真ん中に 1 個だけ入力フィールドがあって、1 〜 88 までの数字を入力できるようになっている。88っていうのはピアノの鍵の数ね。そして Send ボタンがついてる。入力フィールドに 1 と入れて Send ボタンを押すと、会場に置いてあるピアノの一番低い音がボーンと鳴る。88 と入れて Send を押すとピンっていう一番高い音が鳴る。コンサート会場から「皆さん 1 〜 10 までの好きな数字を入れてください」とかいう風に言うと、ネット経由で見ている人がその数値をいれるので、低い音がドコドコ鳴るようになる。「じゃあ次は 80 〜 88 で」っていうと高い音がピコピコ鳴る。
- ささだ
- 96 年でそんなライブをやっていたと。凄い!
- 江渡
- 偶然なんですけど、そのコンサートも翌年の97年の Ars Electronica のグランプリを受賞することになって、私は97年のArs Electronica Festivalではその二つのチームの両方で仕事したので、大変でした。
- ささだ
- 大学院は卒業されたんですか?
- 江渡
- しました。というか、させてもらいました (笑)
- ささだ
- 修士卒業の作品はどんなものを。
- 江渡
- 結局 WebHopper 作ったよということを論文にまとめて、卒業研究としました。
SoundCreatures
- ささだ
- そして卒業されて、メディア財団のほうに就職されたと。
- 江渡
- その後は、ニューヨークの公演でRemotePianoを使ったりとかいろいろやってて、98年にはSoundCreaturesを作った。キヤノンアートラボという 1 年に 1 人のアーティストを選んで作品を作らせるというプログラムがあって、僕が98年に選ばれて、作ったのがSoundCreaturesという作品ですね。
(このムービーも江渡さんのサイトで見れる)
- 江渡
- ネットワークから見る人は、こんな風にJavaApplet経由でアクセスします。これが会場の様子なんですけど、丸が動いているところにはロボットがいます。会場ではこんな感じでロボットが動き回っていて、全部で8台動いています。会場は真っ黒な空間で、周りの輪っかが光っているので、会場ではこの輪だけが動いてるように見えます。ロボットには1台1台にスピーカーが搭載されていて、違う音楽を奏でています。それぞれのロボットはネットワークに接続されていて、ネットワークから送られた音列を鳴らしている。会場にいる人は、ロボットに対して、1 オクターブ上げろとか、下げろとか、テンポを 2 倍にしろとか、そういった音の指令を送ることが出来る。ロボットは自分が今いる位置を認識していて、他のロボットとぶつかると、ぶつかったロボット同士の音の要素が交じり合っていく。ぶつかるたびに音が変形して、会場全体の音はゆるやかに変化していく。そういう作品です。
- ささだ
- 何人くらいで作っているんですか?
- 江渡
- 音を作るプログラムは、僕がメインで書いてたんだけど、それ以外にはサーバ側で動くプログラム、会場を三次元ぽくレンダリングするクライアントプログラム、クリーチャーの位置を画像認識でセンスするプログラム、操作パネル、クリーチャー本体の制御プログラム、ロボット本体の設計・制作とそれぞれいて、キヤノンのエンジニアの方、同じ財団の方、それ以外に何人かで、合計 11 人くらいかな。
- ささだ
- 大規模ですね。さっきのWebHopperは、何人くらいでやってたんですか?
- 江渡
- 僕がメインで、具体的にプログラムを作ったのは私一人かな。デザイン、サウンド、他にいろいろブレストに参加という感じで、4人くらいかな。
AuroraWeb
- ささだ
- AuroraWeb っていうのは?
- 江渡
- JST が子供に科学の面白さを伝えるためのコンテンツを募集していて、オーロラを説明するためのコンテンツということで作りました。これは、5 人くらいで作ったかな。いわゆるマルチメディア・コンテンツで、オーロラの仕組みをクイズ形式で答えたりする。その中で僕が作った部分は、宇宙からオーロラを見るというWebカムですね。普通の静止衛星というのは地球の自転と同じ方向に回っているので北極や南極に出るオーロラは観測できないんだけど、極軌道衛星といって北極と南極の間をぐるぐる回る衛星があって、この衛星からはオーロラを観測できるんですね。その画像がネット上で公開されているので、その画像を取得して、自動的にGIFアニメを作るという仕組みを作った。
- ささだ
- なるほど。
- 江渡
- オーロラって面白いのは、実は一個の輪っかの形してるんですよ。オーロラというと、こう、うねっとしたカーテンみたいな形を想像すると思うけど、そのカーテンの端の先はずっとつながっていて、北極や南極を中心とした一個の巨大な輪っかになってるんですね。重要な点は、オーロラはずっと空に出てるってこと。オーロラは夜に出ると思われてるけど、実は昼も出てる。単に空が明るすぎて見えないだけ。また夜でも見えたり見えなかったりするけど、それはオーロラの巨大な輪っかが、大きくなったり小くなったりするので、うまくその輪っかが頭の上にくるとオーロラが見えるということになる。実際にカナダまで見に行ったんですよ。実物を見ないとわからないことがあるもんだということを実感しました。カナダのイエローナイフという町は、オーロラ観光で有名な町なんだけど、そのときはじめて理解したのは、オーロラを見に行きたいと強く思っているのは、世界中で日本人だけなんですね。
- ささだ
- え、日本人ばっかりなんですか?
- 江渡
- そう、イエローナイフに観光で行くのはほとんど日本人。
インターネット物理モデル
- ささだ
- インターネット物理モデルは?
- 江渡
- 日本科学未来館という科学館ができるという話があって、その情報のフロアのインターネットというテーマのところを村井純先生が作ることになっていた。で、延々時間がたった後に、「やっぱりできへん」ということになって、誰かできそうな人はいないかっていう話になった。なので、2001 年 7 月開館なのに打診されたのが 2000 年 9 月。一年もないじゃん!(笑) 実際に開始したのが12月くらいからで、半年くらいしか時間がなかった。もう本当にギリギリの状況でした。
- ささだ
- ネットワークっていうテーマしかなくて、そこから話をあの物理モデルにもっていったんですか?
- 江渡
- そう。元々向こうが想定していたのは、おそらく普通のマルチメディア・コンテンツだったんだと思うんですね。液晶ディスプレイがタッチパネルになっていて、インターネットの仕組みをインタラクティブに知ることができるようになってるとか。
- ささだ
- 坂村先生のユビキタスのフロアはまさにそんな感じでしたね。RFID のカードを使って、クイズが出たり。
- 江渡
- 多分依頼者の頭にあったのは、ああいうものだと思うんですね。もちろん元々 Web 上のコンテンツを作ってきたので、そういうのも作ろうと思えば作れるんだけど、Web 上でも体験できるようなコンテンツを科学館に展示するなんて、まったく意味が無い。いろいろ出た案の中の一つが、実際に玉を転がして体験できる「物理モデル」にしようというものでした。実はその中間のアイディアもたくさん出てて、ルータっぽく見えるようなタワーが、LED による光の線で結ばれていて、光の移動でパケットの移動を表すという案もあった。一時期はこれに決まりかけたんだけど、そのときに杉原君 が実際に玉を転がして、玉の色の違いによってルーティングする仕組みのプロトタイプを段ボールで作って持ってきたんですよね。これでみんな「もしかしたらできるかも」って思っちゃった。でも僕は「半年ですよ? 絶対無理ですよ!」ってしつこく言ってたんだけど (笑) 結局みんな「できるじゃん! やろう!」ということで、やることになっちゃったんですよ。
- 田中
- う〜ん (笑)
- 江渡
- それでまあ、案の定はまりにはまって。あんときは、大変だったなぁ。
- ささだ
- なるほど。
くまうた
- 江渡
- 実は同時期に『くまうた』作ってましたね。これは要するにクマが演歌を歌うのを見て楽しむゲーム。実はあなたは昔超売れっ子の演歌歌手だったんだけど、今は引退している。そこに宇宙グマが「演歌の心を教えてくれ」といって、あなたのところに弟子入りしに来るんですよ。ってことで、いきなりあなたの部屋にシロクマが同居することになりましたが、クマはそこでまず勝手にランダムに歌詞を作ってくるわけです。あなたはそこで、いいと思ったところは残して、悪いと思ったところを指摘する。そうすると、もう一度歌詞を直してくる。いいと思うところまでずーっと歌詞を直していくと、最後にはそのできた演歌をクマが歌ってくれると。
- ささだ
- じゃあユーザーが関与するのは、歌詞をどうするか。
- 江渡
- そう、それだけ。(笑) そうそう、言葉を覚えこませることができる。だから、例えば「バナナ」っていうテーマの時には最初から「栄養補給」とか「炭水化物」というキーワードは入ってるんだけど、自分の好きなキーワード、例えば「オブジェクト指向」とかいろいろ覚えこませれば、それも歌ってくれる。そういう風にして遊ぶゲームです。
- ささだ
- 技術者的に見ると、これを演歌風に歌わせるのが難しい、とかなんですかね?
- 江渡
- うーん、これがゲームになってるってところが一番難しいかな。技術的に見て難しいところはあまりないかも。音声合成はアニモっていう富士通の子会社が担当したんですけど、「歌わせる」っていうのはちょっと難しかったみたい。僕は自動作曲エンジンを担当しました。プログラムは Ruby で書いて、そのコードをSonyのエンジニアの方に渡して C++ に書き直してもらうっていうことをしてました。ネット対応で「この演歌をメールで送る」っていう機能がついていて、任意の人にメールで送ることができる。演歌は、.enka って拡張子がついたファイルとして送られるんだけど、「くまうたビューア」を使ってそのファイルを開くと、ちゃんとクマが出てきてその演歌を歌ってくれる。クマはアニメーションじゃなくて静止画だけなんだけど。実を言うと一番最初に発売されたバージョンは、セキュリティー上の問題があって、回収して新しいバージョンが出たんだけど、世界初のセキュリティホールのあったゲームとして有名になってます (笑)
- ささだ
- なるほど。名前は聞いたことあるんですけど。
- 江渡
- 研究室で宴会するときに最適です。「イテレータ」でも何でも歌ってくれます。「一研究室に一本」っていうのがテーマですんで、ぜひ買ってください。
- ささだ
- わかりました。
- 江渡
- 『くまうた』は、八谷和彦さんがすごい気にいってくれてたんですけど、「プレイしなくていいゲーム」なんですよ。吉田戦車の漫画に「ゲーム面白いから好きなんだけど、ゲームするの大変だから、僕の代わりにゲームしてくれるゲームがないかなぁ」っていうのがあって (笑) 『くまうた』は実をいうとそれなんですね。ゲームをプレイしてくれるゲームなんです。クマが代わりにテレビの中でゲームを遊んでくれてる。こちらからは「いい」とか「だめ」とかしかいわなくていい。そうすると勝手にクマが画面の中でいろんなことをして楽しませてくれる。
CHISE Project
- ささだ
- 2000 年以降はプロフィールのほうは書いてないんですけど,そのあとはどんな感じで?
- 江渡
- 2001 年に、インターネット物理モデルとくまうたを作って、2002 年に Art.Bit Collection 展をやっていて、その後に産総研に来たのかな。その時にやっていたのは CHISE Project。これ、どう説明すればいいのかなあ。
- ささだ
- えっと、多言語化。
- 江渡
- そう、多言語化。CHISE Project の説明って超厄介なんだけど、簡単に説明すると、たとえば Unicode ではたくさん文字を使えるようになってますよね。TRON プロジェクトだともっと文字が使えるようになっていると主張している。でも、もっとインテリジェントに使いたい。TRON コードだと、文字がたくさん使えるって言うけど、「アナタ、それほとんどおんなじ漢字ですから。同じ漢字に対していろんなコードポイントを割り当ててるだけですから。残念!」って言って、実際のところはたくさん使えるっていっても、そのたくさんの意味するところは、同じ漢字を複数カウントしているからたくさんっていうことなんです。同じ漢字は同じものとして扱いたい。でも同じ字に対してコードポイントがたくさんあると、同じかどうかを判定するのが手間になる。類似検索用のアプリケーションが用意されていて、それを使ってこの「田」と、あの「田」は同じ漢字なのかということをいちいち検索しなくちゃならない。でもさ、ちょっと話が飛躍するけど、「田」っていう文字そのものがオブジェクトになっていて、そのオブジェクトの == っていうメソッドがオーバーライドされてて、自動的に一致判定をこなしてくれると、すごく便利じゃないですか。その他にも、例えば to_unicode とか、to_jis とかいうメソッドが用意されていて、文字自身が自分自身の変換方法を知っていたりすると便利じゃないですか。それだけじゃなくって、文字の画数とか、部首とかそういった情報も全部メソッドで取り出せると便利じゃないですか。そういう理想を実現しようとしてるの CHISE Project なんですよ。
- ささだ
- それはアートとは離れた話だと思うんですが。
- 江渡
- だいぶ離れてますねー。流れとしてはねこういうことなんですよ。藤原さんと鈴木さん、二人の研究者が漢字の接続構造のネットワーク図を描きたいという話を持ってきた。これは何かというと、漢字は複数の部品の組み合わせから成り立ってるじゃないですか。たとえば、偏と旁から成っているときに、偏を取って別の偏を持ってくると別の漢字になる。次に、旁を取って別の旁を持ってくると、また別の漢字になる。そうすると、ある部品を共通項にしてその漢字はつながっていると言うこともできる。部品を媒介とした、漢字と漢字の間の接続関係を定義することができて、そのネットワーク図というのを描けるはずだ。それが描けると、なんか見えてくるに違いない。
- ささだ
- それは、アートっていうことで? それとも国語の研究っていうことですか?
- 江渡
- 後者ですね。僕が WebHopper とかで、いろんなネットワークの視覚化をやっていたということで、ネットワーク視覚化のスペシャリストということで誘われました。こういうことをやるためには、まず前提条件として、ある漢字にどういう部品が含まれてるかとか、ある部品はどんな漢字に含まれてるかとか、そういったことが調べられるようになってなくちゃいけない。そこでまず順番として Ruby/CHISE から実装していったわけです。その背後には、CHISE 文字データベースといって、文字に関するいろいろな知識がドーッと入ってる巨大な文字データベースが控えてるんですよ。
- ささだ
- それは、日本語、ですよね。世界中?
- 江渡
- 世界中ってことになってるけど、実際にはほぼ漢字についてですね。漢字であれば、それぞれを部品に分解するとどうなるかという情報もはいっている。例えば、「林」っていう漢字は、「木」と「木」が横方向につながったもの、「森」は、「木」と「林」が縦方向につながったものという感じで、接続情報も含めて取得できる。その部品による構成情報を IDS というんだけど、それを使って分解もできるし、再構成もできるという風にした。部品に分解する、また逆にこの部品が含まれている漢字を探す、という双方向変換をできるようにして、それを基にしてネットワークの視覚化をしたという感じです。CHISE Project は、京都大学の守岡さんがやられているプロジェクトで参加者はあちこちに散らばってるんですけど、新部さんがそのプロジェクトを後援してくれて、それで私は産総研にいるんです。新部さんは恩人ですね。
- ささだ
- それが、何年ぐらいですか?
- 江渡
- 2002 年の 9 月からしばらくそれをやりました。
普段の生活
- ささだ
- 生い立ちとか、お仕事とかはそんな感じで。生活は 12 時に、まあ、午前に来られるように努力されてるっていう感じでしょうか。
- 江渡
- だいたいそんな感じで。
- ささだ
- だいたいこちらにいらっしゃるんですか?
- 江渡
- だいたいここです。
趣味・スポーツ
- ささだ
- 映画とか本とか音楽とかゲームとかスポーツとか、趣味一般の話を。スポーツは?
- 江渡
- 週一でプールに行ってました。最近はだいぶだらけてますね。
趣味・音楽
- ささだ
- 音楽とかは?
- 江渡
- ちょっと前にジョアン・ジルベルトのライブがあって、行ってきました。ボサノバっていう音楽がありますよね。あれを作ったと言われてるのが、ジョアン・ジルベルト。あと、今度カエターノ・ヴェローゾを聞きに行きます。甘ーい声で、すんげーいいですよ。
- ささだ
- 今度探してみます。
趣味・映画
- ささだ
- 映画は? 特筆すべきものでは? 作品を並べていただければ書きますが。
- 江渡
- ん〜〜〜。なんだろうね。最近、不純な動機で観るようになったから。
- 田中
- その不純な動機とは?
- 江渡
- 『キャシャーン』とか『イノセンス』とか観てるんですけど、例えば『キャシャーン』だと、写真家として有名な紀里谷和明が映画に乗り出したと。そうすると、どんなものができるかに興味があるから観にいこうと。面白いに違いないと思って観に行って、なかなか面白かった。
- 田中
- 日記に感想書いてありましたよね。ここでいう「面白い」は世間一般の「面白い」とはちょっと違うような。
- 江渡
- 純粋に面白いのかもと思って観に行ったんだけど、結果としてはエンターテインメントとして作られた映画というより、メッセージが込められた映画だったんだよね。すごく難しい話なんですけど、例えば「ぼくらとあそぼう」っていう、クマちゃんみたいなキャラクターが、いろんな物に変身しながら物語が進んでいくっていう、すごくかわいい人形アニメがあるんですけど、そのDVD を3枚全部持ってるんですね。でもそれは、この作品楽しいかもと思って買ったわけじゃなくって、自分で作品を作る上で絶対に必要だと思って買ったわけです。でも普通の人はそうじゃないじゃないですか。
- ささだ
- まあ、観てみたいとか、楽しい、とか。
- 江渡
- そういう理由がすごく希薄になっていて、映画観るとか、ゲームやるとかが、作り手として見たときに参考になるかという視点で見てるんですよ。「これはえらく工数かかってんなぁ。30人位かな?」とか考えながら見てる。純粋に『キャシャーン』はとてもいい映画だと思ったんだけれども、それとネットでの評価と一般的な評価と売れ行きとかの関係っていうのを考えてたんですね。古いアニメの原作を実写映画にするというリメイクが流行っていて、後で調べて見ると、その一連の映画の中では『キャシャーン』は圧倒的に成功したんですね。でも、それ以上に成功したのが『NIN×NIN』ていうハットリくんを題材にした映画なんだけども。なんか、評価とセールスの違いには愕然とするよね。イノセンスみたいに、ものすごいお金かけて作って、宣伝にもすごくお金かけたけども、トータルでは赤字っていうのがある一方で、『キャシャーン』は成功している。そういうマーケットの中で新しい表現を目指すっていうのは、ものすごく大変なんですよ。そういう映画とかゲームの世界と、メディア・アートの世界って全然関係無いと思われがちだけど、そんなこと無くって、コンテンツという括りで横に並べて見ると広い意味ではライバルなんですね。そういう意味で「これはチェックしとかないと」という思いながら観ているので、すごく不純ですよね。
- ささだ
- なるほど。純粋にそういうので遊んだり楽しんだりっていうことがなくなっちゃった、ということですか?
趣味・ゲーム
- 江渡
- いや、まだ残ってますよ。ドラクエ8は本当によくできてますね。実を言うと、遊ぼうと思って買ったけど全然プレイしてないゲームがたくさんあるんですよ。これもそうなるかもって思いながら買ったんだけど、ちゃんと遊べる。まだクリアしてないんだけど、かなり長時間遊んでいる。あれはほんとに賢く作ってあるなぁ。感心しました。
マシンのスペック
- ささだ
- 軽いもんでしめたいんですが、使ってるマシンのスペックは?
- 江渡
- Let’s note ですねぇ。 CF-W2 をガンガン使ってます。前は VAIO 使っていたんだけど、プレゼンの前日にハードディスクが壊れちゃって (笑) 泣きながら、ハードディスクを取り出して復旧させてなんとかなったんだけど、もうVAIOは使わない。で、Let’s note にしたんだけど、やっぱり壊れちゃって……。CDの蓋のヒンジが壊れちゃった。それだけじゃなくて、蓋を開け閉めするだけで、たまにリセットかかるようになってしまった。蓋閉じたり開いたりするだけでリセットかかっちゃうから、使いづらくってしようがない (笑)
好きな女性のタイプ
- ささだ
- 好きな女性のタイプは?
- 江渡
- ……なんて答えればいいんですか、これ?
- ささだ
- みなさん「奥さん」。
- 江渡
- はい、奥さんです (笑)
今後の展開
- ささだ
- 今後の展開を。
- 江渡
- qwikWebをちゃんとやる。あともう一個、もうすぐ公開予定のプロジェクトがあって、それもちゃんとやる。その二つをやっていこうと思ってます。抽象的な方向性で言うと、「すごく実用的なものとすごく実用的じゃないものを両方同時にやっていきたい」と思ってます。
- 田中
- WISS とか行くんですか?
- 江渡
- 前はたまに行ってました。今はプログラム委員だから毎回行きますけど。
- ささだ
- なるほど。
- 江渡
- 一応、プログラム委員らしい仕事をしておくと、「みなさんぜひWISSに論文出してください」 WISSは幅が広いので、インタフェース的な要素を含んでいれば出せますので、ぜひみなさん論文応募してください。
次のインタビュー
- ささだ
- えっと、次のインタビューは?
- 江渡
- 田中さんでお願いします。
後輩の指導
- ささだ
- 後輩かなにかの指導っていうのはなにか? たとえばお仕事のほうで部下ができたとか、そういう時にどういうふうに指導されるのかなぁというのは、みなさんに聞いているんですけれど。
- 江渡
- 教えるときにどういう点に気をつけなくちゃいけないのかっていうのは、重要な問題ですね。一番大きなのは課題の設定ですね。ある意味教師癖みたいなのがあって、この人だったらどのくらいのことができるだろう、今やらせるべき問題はなんだろうっていうことは、割と真剣に考えます。そのとおりにうまく行くかどうかはまた別の問題だけど。
- ささだ
- 厳し過ぎるとやらないし。
- 江渡
- できない課題を出してもできないしね。
- ささだ
- 甘くしても良くないし。そこを、きちんと考えていらっしゃる。
- 江渡
- 考えますね。
若手へ一言
- ささだ
- では、若手へ一言。
- 江渡
- 若手ヘ一言。厳しいなぁ (笑) 若手のつもりなんだけどなぁ、まだ。
- ささだ
- いや、もちろん。ただ、もっと若い人はいるので。
- 江渡
- なんだろうなぁ。例えば高校生の自分がどうだったかとか考えると、こういうインタビューで若手に対してコメントされてるのを読んでも、まったく影響されなかったですね。それが自分に向けられてるものとは思わないから。誰のいうことも聞かなかった自分を思い出すと、一言とか言ってもしょうがないよなぁとか思っちゃうんだけど、その上であえて一言言うと「別にどうでもいいよ君達なんか」ってことですかね (笑) 。
- ささだ
- なるほど、好きに登ってこい、と。
- 江渡
- そんな感じですかね。
Rubyist に一言
:
- ささだ
- 最後に読者の方ヘ、 Rubyist の方ヘ一言。
- 江渡
- それも厳しい質問ですね (笑)
- ささだ
- 自分のソフトよろしくというので締めてる人が多いんですが。
- 江渡
- じゃあ qwikWeb よろしくお願いします。
- ささだ
- 本当に長々と、どうもありがとうございました。
おわりに
今回は多方面、とくに芸術分野での活躍で著名な江渡さんにお話を伺いました。インタビューの前は絵画とかそういう話をするのかと思っていたんですが、技術ヲタな話が沢山聞けて大変面白かったです。本当に長時間どうもありがとうございました。
次回はRubyのコミッタで open-uri や core の人として有名な田中哲さんへのインタビューをお届けする予定です。お楽しみに。
(インタビュー:ささだ、編集:mput、早川)
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