おかげさまで「中国の若きエンジニアの肖像」第 2 回を執筆させていただく機会を頂けました。今回は、中国のエンジニアのキャリアとしては珍しい、大学で IT を専門に学んでいないエンジニアの Ruby や Rails との関わりや、仕事、私生活についてインタビューしました。
多忙な彼とスケジュールの調整がつかず、今回のインタビューは、事前に彼に質問表を送付し、そちらに回答してもらうという形式にしました。また、不明な部分は、電話やメールで補いました。
英語名は Daniel Lv、中国名は呂国宁です。プログラミングの世界にキャリアの途中から入った、Rails そして Web アプリのエンジニアです。ソフトウェア開発にかなりの情熱を持って取り組んでいます。その他、生活の中で楽しみを見つけて楽しむことが好きです。自転車に乗るのが好きで、また Toastmasters 1 のクラブにも参加しています。
コンピューターやソフトウェアとはまったく関係なく、上海出版印刷専門学校で、印刷技術について学びました。ソフトウェアの世界に入る前は、3 年近く HP Indigo デジタルプリンターのメンテナンス技術者として働いていました。この期間に Java については、一通り学びました。
2 年半の Rails 開発経験があります。
最初は、RED2 でフルタイムの社員として 1 年働き、Red.com のショッピングサイト、E コマース、顧客管理システムなどをフルタイムで開発しました。
次に働いた ELC では大小様々な Web サイトを開発しました。ヨーロッパ最大の出版社Langenscheidt Public の Web 辞書の作成や Web ゲームの開発、企業向けのアプリなどの開発を行いました。特に有益だったのは Langenscheidt Public 向けの辞書製作で世界中の Rubyist と共に仕事ができた経験です。彼らから開発のノウハウ、技術を学ぶことで、自身の技術力をすごい早さで向上させることができました。現在は Factual.com で View Layer の開発をしています。
以前勤めていたのは米国企業の ELC です。
ELC は Rails のソリューションプロバイダおよびコンサルをおこなっている企業です。特に成功している製品として、以下の製品等があげられます。
この会社の中での私の役割は前の質問で回答しましたね (笑)
今の会社の人事に情報を公開できるかどうか確認しないとわからないので、保留にさせてください。
ええ、自転車マニアです。1 年半前にとても気に入っているマウンテンバイクを購入してから、ずっと自転車でのツーリングを計画していました。しかし、仕事の関係でなかなか時間が取れなかったのです。
チャンスがやってきたのは 2009 年夏、6 月ごろです。ELC との契約を終え、しばらく自由な時間を持つことが出来ました。そこで、上海から青島までの自転車ツアーを企画しました。このツアーのために、まずは様々な準備をしました。体を鍛えたり、ルートの詳細な情報を調べたり、ツアーの際に必要な自転車に関する知識も習得しました。
大体 1 ヶ月半ほど準備をして、いよいよ出発です。ツアーは結局 8 日間かかりましたが、とても忘れがたい旅となりました。ツアーの最中に、様々なコトを見たり遭遇したりしたわけですが、その辺は旅行記としてブログに書いています。もしご興味がありましたら見てくださいね。
その通り。実は、日本の歴史上の人物に夢中なんです。 一番好きなのが武田信玄で、その次は徳川家康です。彼ら二人のことを話し出すと止まりませんよ。
武田信玄が好きなのは、戦の神様だからです。一生戦い続け、大きな敗北を味わったことがなく、すごいなと思うのは、家康も数度破っています。毎回信玄の話を読むと「がんばんなきゃ」と元気づけられますね。
家康が好きな理由は私の父にあると思います。父は企業管理の研究が好きで、特に日本企業の経営管理、日本企業の真髄を学びたいならば、日本文化を理解すること、さらに家康の現代日本式経営管理における影響はとても大きく、また幅広く敷衍しているので家康からも学ぶこと、ということを父から常々聴いていました。
なので小さいころから、徳川家康の組織管理に関する知恵、それを以下に活用するか、など父から耳にたこが出きるくらい聞かされていたので、馴染みをもっているんでしょうね。
実を言うと、私が Ruby と Rails を学ぶことを始めるのは、初めてソフトウェア開発の仕事を探しあててからです。2007 年 4 月だったと思います。
RED 会社でウェブサイト開発を行う仕事をすることになって、その時、私はもともと Java の仕事をしたかったのですが、RED 社は私に Rails を学ぶよう求め、そのため Rails で全体のウェブサイト開発を行うことになりました。
私自身は決して Ruby が嫌いではないですし、むしろめちゃくちゃ好きと言ってもいいと思います。それまではずっと Ruby 関連の仕事を行う機会がなかったのですが、幸運にも、初めての仕事で Ruby 関連の仕事が出来たわけです。
Ruby を使っての開発を行う過程で、我を忘れて Ruby の勉強をしました。習熟するまでの速度はとても早く、そのうち RED 社の主力となるエンジニアの一人となることが出来ました。学習には、なんら特殊な方法を使っていません。Ruby の本からの学習です。その当時は本がとても少なく、『Programming Ruby』と他に『Agile Web Development with Rails』の 2 冊を読んだだけです。
それから、仕事をする上で、問題に突き当たった場合は、ネットを通じて各種の情報を探して解決しました。秘訣は「放棄しないこと」「旺盛な知識欲を維持すること」、さらに、Ruby と Rails に関しての一切の事柄に「興味をもち続ける」ことだと思います。
第 1 回の Shanghaionrails コミュニティに参加したときからです。その時は、RED の上司と一緒でした。この会合で会の主力メンバーの張元一と Stephen に出会いました。彼らとは、それから仲のいい友達です。その後、彼らと共に 5 回の小規模の会議を主催し、そして今年、大規模の RubyConfChina2009 とカンフー Rails 会議を開催することができました。
私は Shanghaionrails 活動を通じ、日本の Ruby コミュニティとはいい関係を構築できていると考えています。架け橋となってくれた人がいたからです (筆者とのこと)。
中国と日本のコミュニティ間の交流が今後更に増えていくことを祈っています。そうすることで Ruby の発展に貢献できるのではないかと思うからです。共にコードを開発したりバグの解決を議論したり、いろいろ両者で取り組めることはあります。
私が Shanghaionrails のリーダー? そう考えたことはありません。Shanghaionrails については NPO と似たような団体だと考えています。私は単なるメンバーですよ。ははは。
個人的には中国での Ruby の発展に自信を持っています。まず、中国の Web 関係ビジネスの動きはとても速いこと、更に中国は世界最大の Web ユーザー人口を抱えているからです。いまだに Rails を脅かす、いわば Rails キラーみたいなフレームワークが出てきていない現状から、Rails で更に市場を開拓することができると思います。そのため、Ruby の中国における未来はかなり明るいと言えると思います。
でも、懸念もあります。人材の問題です。
Ruby のコミュニティはまだまだ小さく、人材の供給が十分ではありません。多くのエンジニアは、Ruby を学習しようかなと考えはしても、結局は Java とか .NET の利用が企業で進んでいるので、なかなか本格的に学ぼうという人がいません。先ずは多くの人々が OSS の力を理解することが先決だと思います。
OSS でいかに (商業的に) 成功するか? これは一見 OSS の理念と矛盾するようですが、私は OSS を利用する会社が将来的にはかなり増えると見ていますし、OSS のコミュニティがそういう会社の助けになることができると信じています。。
Microsoft の OS は使ったことありません。Mac 派です。開発には Textmate を使っています。会社では Linux を使い、Vim で開発を行っています。Linux と Vim もいいんですが、でも、私にとっては Rails の開発の際には Mac が一番しっくりします。Mac なら、情熱を持って、そして創造性を掻きたてられながらプログラミングができるからです。
北京の Rails 企業の社長 Robin Lu がいいと思います。彼の blog はこちらです。
Daniel は 400 名以上の会員がいる中国最大の Ruby 及び Rails のコミュニティ Shanghaionrails (上海オンレイルズ) のリーダー格として活躍しています。
個人主義的で拝金主義的なエンジニアが多い中国では無数のコミュニティが出来ては消えていきます。そういった中で Shanghaionrails が一定期間続き、活性化しながら次々と大規模な会議を成功させたのは、彼の献身的な人柄とマネジメント能力に負うところが大きいと筆者は考えています。
また、おっとりしたお人好しの風貌でありながら、まったくの緊張も見せずに RubyConfChina やカンフー Rails という大舞台で MC を務め、潜在能力の高さを見せたり、自転車で 800 キロ以上の旅をなんなく成し遂げている点など、日本から見た、あるいは日本企業が経験している中国人技術者のイメージにははまらない規格外の人物です。その点が、本稿で少しでも伝われば幸いです。
彼も指摘しているように、目下の課題は「人材不足」にあります。原因としては、彼のように自らすすんで Java や Ruby を学ぶという文化が中国では一般的ではないことです。
圧倒的な供給量がある Java の大卒エンジニアは、実務経験未熟な中で少しでも高い賃金の仕事を探すために汲々としています。オフショア型の開発が主体であったこれまでは、安い賃金と豊富な人材供給量が機能し、日本企業も上海など各地に拠点を作りました。
しかし、為替が変わり、また労務費がアップしてきた現在は、徐々にリストラや中国からの撤退を余儀なくされている状況です。今後は中国を「市場」として捉え、中国で採算の取れる製品開発、中国人が好むアプリの開発が求められているのではないかと考えます。
カンフー Rails の際に、Github や Joyent が中国を訪問しプレゼンを行ったのは、こうした成長する市場の可能性や、圧倒的な人材供給を見ているからだと考えています。この点では、日本の Ruby コミュニティや Ruby 関連の企業は取り組みが遅れていると言えるかもしれません。
Shanghaionrails 会員
2009 年 10 月 24 日 第 1 回カンフー Rails の実行委員
2004 年 カナダ McGill 大学 MBA Japan 修了
無錫日本語学校「桜日本語」の臨時講師